ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (73) イギリス議会の起源

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「イギリス議会の起源」






さて、
舞台をイタリアからイギリスへ移して、







13世紀は、
イギリスにとって苦難の世紀で、
その原因は、
この方、










ヘンリー3世。










ヘンリ-3世は、
1216年〜72年と、
56年の長きにわたり、
王位にあった人で、











半世紀もイギリスを支配したんだから、
どんな有能な王様かと思うけど、










とにかく、
やることなすことすべてが裏目に出た不運な人、











欠地王とか失地王と呼ばれた父ジョン王と、
無能ぶりではいい勝負?











父ジョン王はバロン戦争で、
諸侯と戦っているけど、









ヘンリー3世も負けじと、
第二次バロン戦争に参戦、











これは、
シモン・ド・モンフォール率いる諸侯らが、
アホなヘンリ-3世に見切りをつけ、
挙兵したもので、










戦争の経緯を調べていくと、
諸侯も決して一枚岩ではなく、
シモン・ド・モンフォール憎しで王側につくものあり、








ヘンリー3世も、
ローマ教皇を味方につけたりなんかして、








さらに、
当時、
ヨーロッパの調停者として名高かったルイ9世が→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (18) ルイ9世の十字軍遠征と結婚力 - Victoriaの日記
調停にかけつけたんだけれども、
いくら公正な男だといっても、
ルイ9世自身も王様なわけで、











結局、
王様に不利な条件をのむことはできず、
調停不発、











そんなこんなで、
ぐっちゃんぐっちゃんの戦いをだらだら3年もしていて、











結局、
最後は、
シモン・ド・モンフォールは戦死、









しぶといヘンリー3世は、
1272年で死ぬまで、
王位にとどまる。









なお、
ヘンリー3世の妻は、
プロヴァンス4姉妹で有名なプロヴァンス家から嫁いでおり→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (18) ルイ9世の十字軍遠征と結婚力 - Victoriaの日記
ルイ9世とは義兄弟。











それで、
シモン・ド・モンフォールなんだけど、
イギリス議会の基礎を作り上げた人物として有名、









第二次バロン戦争で、
一瞬、
勝ったことがあって、
その時(1265年)に、
諸侯や市民を招集した議会を、
王に承認させている。












結局、











シモン・ド・モンフォール自身が、
王位をねらってるんじゃないの???









と警戒した諸侯らが王に味方、
57歳の時、
戦死してしまって、










なんだか、
イギリスってのは、
規模のちっちゃな、
小競り合いばっかり繰り返してたのねって感じだが、











1066年のノルマン・コンクェスト以来の200年というのは、
イギリスはフランス語をしゃべる貴族によって支配されていて、











失地王ジョンが広大なフランスの領土を失って、
はじめて、








イギリスはイギリスが統治しようぜ!
(正確には、イギリスというより、「イングランド」ですが)









という気運が高まり、
それを達成していく中で、









イングランドだけじゃなく、
ブリテン島全部ほしいよねって話になっていく・・・










というのが、
13世紀あたりの話なので、











13世紀のイギリス王室は、
小競り合いが多いなあ・・・と思うのは当然、










この頃はまだ、
「イギリス」という強い一つの国は存在していなくて、
王様といえども、
有力な貴族くらいの位置づけで、








だから、
アホな王様でも、
半世紀つとめることができたんじゃないか・・・










Victoriaでした。


・・・


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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記






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