ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (74) マンフレーディ VS シャルル VS ローマ教皇

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「マンフレーディ VS シャルル VS ローマ教皇







舞台は、
再びイタリアへ戻って、








ローマ皇帝フェデリーコ2世に、
さんざん痛めつけられてきたローマ教皇











ローマは、
地理的に、
ドイツとイタリアにはさまれた場所にあり、








いわば、
くるみ割りのくるみの位置がローマ、









なので、
何はともあれ、
ドイツの王様に大変な敵意を抱いていた。










今回の主人公は、
教皇クレメンス4世。










この方、
実は結婚して子どももおり、
フランス王ルイ9世の秘書まで務めたこともあるれっきとした俗人だったのが、









妻の死後、
聖職者をめざし、
1165年、
70歳の時に教皇になり、
亡くなるまで、
3年間教皇をつとめてます。









フェデリーコ2世と派手にやりあった、
教皇グレゴリウス9世は、
就任時84歳で、
98歳で亡くなるまでずっと教皇職でびっくりさせられたけれども、









教皇というのは、
みなさん、
長生きですね・・・










何か、
長生きのための秘薬とか、
のんでたんでしょうか・・・???











・・・


さて、
もとは俗人で兵士&弁護士だったクレメンス4世は、
なかなかの策士で、









ルイ9世の弟シャルルに目をつけ、
利用することを思いつく。








シャルルは、
大変な戦争好きだったので、
うまくたきつけて、
邪魔なマンフレーディをやっつけさせようという魂胆、











シャルルはといえば、
優秀な兄ルイ9世がいる限り、
自分に王様の座がまわってくることはないことをよくわかっていたので、











渡りに船と、
イタリアへ出かけて行き、








ベネヴェントの戦いで、
見事、
マンフレーディをやっつけてしまう。










めでたし、めでたし、ということで、
教皇クレメンス4世は、
宿敵ホーエンシュタウフェン朝が滅びるのを見届けて死ぬ、










が、しかし、








事態は、
教皇庁の思惑どおりには動かない。









シチリア王になったシャルルは、
それに飽き足らず、
ドイツ王の座もねらうようになり、
数々の政治工作を繰り出していく・・・










ちなみに、
シャルルの奥さんですが、
あのプロヴァンス四姉妹のひとりです→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (18) ルイ9世の十字軍遠征と結婚力 - Victoriaの日記
なので、
ルイ9世、ヘンリー3世とは義兄弟、












この四姉妹の関係を、
図にしてみました。

とても書き切れなかったんで、
四姉妹の子ども達は、
王様になった男子のみ書いてますが、









女子で成人した者は、
みなさん、
やんごとなき貴族のお家へ嫁いでます。









モンゴルは、
チンギス・カンの四人息子が時代を牛耳ってましたが、
ヨーロッパは、
プロヴァンス四姉妹の時代だったんですね・・・










ということで、
教皇の策が裏目に出て、
アンジュー家シチリア王になったというお話。








アンジュー家は、
長くフランスを支配したカペー家の一派で、
どんだけ・・・というくらい、
王様を出している家系です。









・・・ということで、本日の結論 :









王権とは繁殖力のことである。










Victoriaでした。


・・・


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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記




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