ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (31) フィリップ4世の華麗なる子孫の悲劇

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「フィリップ4世の華麗なる子孫の悲劇」。

さて、
今回は、





王国のなかの皇帝






とまで言われ、
強大な王権力を確立したフィリップ4世が、
家族運に恵まれなかったというお話。





結論から言うと、
1328年、
フランスでは、
カペー家が断絶し、
ヴァロア朝が始まっていて、




その原因を作ったのは、
ほかでもない、
フィリップ4世。






まずは、
こちらの家系図をご覧ください。


毎度、
手書きのヘタな図ですみませぬ、





お絵かきソフトとか、
どやって使うんだか、
いまいち、よくわからなくって・・・





それで、
順番にご説明すると、





フィリップ4世は、
この時代の王様には珍しく、
王妃は一人しかおらず、
外に産ませた子もおりません、
まさに、
夫の鏡・・・






しかし、
妻に対する貞操を守ったことが、
結局裏目に出たのか、






フィリップ4世自身は、
3人の男の子に恵まれ、
3人とも王位を継承したにもかかわらず、
いずれも若くして没、
そして、
その子ら(つまりフィリップ4世の孫)の中で、
成人した男子がいなかったという・・・






長男のルイ10世は、
フィリップ4世の後を継いだけれど、
わずか2年後に死去、
彼が死んだ後に産まれた息子ジャン1世は、
生後1週間で没、






つまり、
おぎゃあ!と産まれた瞬間に、
第13代国王に即位するも、
あっという間に死んでしまったという・・・





その次に国王になったのは、
フィリップ4世の次男、フィリップ5世。






この方も、
わずか31歳で没、
もともと男子が産まれなかったので、
第15代国王の座は、
弟(フィリップ4世の3男)の、
シャルル4世に。







しかし、
シャルル4世もまた、
1328年、
わずか34歳で没、






息子はいたんだけれども、
いずれも、
シャルル4世が亡くなる以前に、
夭折していたので、






あっという間に、
フィリップ4世直系の男子は、
途絶えてしまったわけです。






フィリップ4世には、
イザベルという娘がいたんだけれども、
女子の王位継承は法律で禁じられていたため、
ここに、






カペー家の断絶







が決定。








次の王に選ばれたのは、
フィリップ6世。






フィリップっていうから、
フィリップ4世の息子かと思ったら違って、






フィリップ3世(フィリップ4世の父親)の息子の子とのこと。







ここらへんは、
家系図が複雑すぎて、
理解しようとしたけど、
途中で断念、






昔の人は、
子どもが多すぎて、
これじゃあ、
兄弟の間で殺し合いのケンカがおきても、
おかしくないと、
ホント、
思った・・・





てゆーか、
昔の女の人って、
生きてる間は、
ずーっと妊娠してるんだね・・・






それで、
話戻して、
フィリップ4世が、
息子に恵まれなかったという話だけど、






フィリップ4世自身、
テンプル騎士団のたたりで死んだと言われているという話は、
前回したんだけれども→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (27) 1312年 テンプル騎士団解散 - Victoriaの日記







男子の孫が、
いずれも早世したのも、
テンプル騎士団のたたりだと言われていて、





・・・ということで、本日の結論 :





あまりにも欲深いと、
呪われるってホントなのね・・・







さらに、
フィリップ4世の子どもには、
もう一つ騒動の火種がありまして、






唯一、
長生きした、
娘のイザベルね、






彼女は、
女子だからと、
王位継承権が認められなかったわけですが、







なんと、
イングランドエドワード2世の王妃となっております。






そして、
当然予想される通り、







カペー家が断絶という事態に直面した時、
エドワード2世はもう死んでいたんだけれども、
その息子のエドワード3世が、
母にも王位継承権があるだろうということで、
イチャモンをつけ、
それが、
イギリス VS フランスの、
百年戦争に・・・






実は、
今回、
イザベル関係の人脈について調べていたら、
オモローなネタがザックザックと出てきて、
今、
ちょっと興奮してるとこ・・






なので、
次回からは、
出口社長の講義から脱線して、
イザベルをめぐる愛憎劇のてんまつを、
ご紹介したいと思います。







今、
その一部をご紹介すると、





イザベル自身、
メチャメチャ美人だったんだけれども、







夫であるエドワード2世を廃位して、
弱冠14歳の息子エドワード3世を即位させると、
愛人とともに、
実権を握ったと言われていて、





エドワード2世は、
公式には、
1327年に死去したことになってますが、
実は、
幽閉されたまま、
その後も生きていたのではないかと言われており、






エドワード2世は、
バイセクシャルだったんだけれども(!)、






最期は、






肛門に焼け火箸を差し込まれ殺害された・・・(あくまでウワサ・・・)







・・・ということで、本日の結論 :





さらに調べてみると、
フィリップ4世が死んだ1314年、
フランス王室では、
王妃3人がそろって不倫するという、
一大スキャンダルが勃発、





一説によると、
それにショックを受けて、
フィリップ4世が死んだとか。






だけど、
王様は好き放題女作っておきながら、
王妃が恋愛したら不倫とか、
意味不明よね・・・






Victoriaでした。