死のうと思っていた

このところ
何も考えずにボーッとすることがなかった。

旅をしていないからだろう。

右から左へ
どんどん流れていく景色を車窓からながめ、
規則正しく揺れる列車のリズムに身をまかせながら味わう
何もしなくてよいぜいたくな時間。

次のカーブを曲がったらどんな景色が見えるだろう。
そんなドキドキ感をまた味わってみたくてウズウズする。

手持ちぶさたで、
本棚の隅に積んであった太宰治を手に取ってみる。
太宰治は日本で最も嫌いな作家だ。
それなのに、いつ、この本を買ったのか。
全く記憶にない。

最初のページをめくってみた。
いきなり「死」という文字が目に入る。

  >>死のうと思っていた。
  ことしの正月、よそから着物を一反もらった。
  お年玉としてである。
  着物の布地は麻であった。
  鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。
  これは夏に着る着物であろう。
  夏まで生きていようと思った。<<

太宰治が、最初の心中を図り、女だけ死んで自分は助かった後に書いたものである。

読むんじゃなかった。
太宰治は、すぐに「死」という言葉を出すので大嫌いだ。

新学期が始まってすぐ、
生徒が自殺した。
高校に入学したばかりだった。

教育熱心なお母さんに
厳しく育てられたと聞いていた。

入学試験はトップ10の成績だったが、
なぜ一位ではなかったのか、という話し合いが家族でもたれたという。

このところ、進学実績を伸ばしている高校なので、
先生たちは生徒に気合いをいれようとやる気に満ちていた。

始業式後の最初の一週間は「オリエンテーション」期間とされ、
各教科の先生が競って大学受験の厳しさを説いた。

いろんな先生がいる。

生徒のやる気を鼓舞するために
先輩たちの合格体験談などを話す先生が多い中で、
一人、生徒の自尊心を揺さぶる戦術に出た先生がいた。

まず、
「お前、どこの中学出身だ」
と聞く。

決して名前で呼ばず、
女子に対してもお前呼ばわりである。

生徒が中学名を答えると、
「あそこは問題児が多い」
などと、意味もなくこきおろす。

続いて
「お前、何人兄弟だ」
と聞く。

「兄がいる」
と答えると
「弟というのは兄に対して劣等感を抱いているやつが多い」
などと、けなし始める。

根拠は全くないのだが、
そういう乱暴な扱いを受けたことのない生徒たちにとっては衝撃である。

うつむいて、何も言えなくなってしまう生徒。
泣き出す生徒。
教室はし〜んと静まりかえってしまい、
これから一年、この先生の授業を受けるのかというあまりにも重い事実に
生徒はショックを受ける。

彼女がこれをやられたのは、
金曜日だった。

教室の真ん中に立たされて、
先生の怒鳴り声を聞きながら、
目を真っ赤にしていたという。

翌日、彼女は自殺した。

土曜日、学校帰りに駅のトイレで、
突発的に首つり自殺を図った。

自殺なんてなかなか成功するもんじゃないと
年中、自殺者を見ている警察の人が言っていたが、
何事もやりかけたらやりとおす生真面目な彼女は、
人生初の試みを
見事に成功させてしまった。

ばかなやつだ。

なぜ、そんなことを・・・

せめて、家に帰ってお昼を食べてから、
いやいや、土曜夜のTVドラマを見てから、
やっぱり、4月下旬の遠足に行ってから・・・
そんなふうに、考えなかったのか。
絶対にやりたいことはあったはずなのに。

ホントにばかなやつだ。

何が悲しいって、
彼女の記憶にある学校の風景の一番最後が、
しょうもない先生のくだらない戯れ言だってことだ。

他人の自尊心を踏みにじるようなヤツって、
本人が劣等感のかたまりなんだ。
これからの人生でそういうヤツにはいっぱい出会うと思うけど、
気にするな。
あなたが先生の言うような人間じゃないってことは、
クラスのみんなが一番よく知ってるよ。

そう言って、
泣いてる彼女を抱きしめてあげたかった。

大丈夫、変な先生かもしれないけど、
きっと次からはまともな授業をするよ。
その証拠にクビにもならずにずっと先生続けているだろう。
初日だけびびらせてるんだよ。

そう言って、
泣いてる彼女の肩をたたいてあげたかった。

ホントにばかなやつだ。

来週、中間試験がある。
試験対策の準備をしながら、
彼女がこの単語テストを受けることはもうないのだということに気づく。

結局、太宰治は最初のページを開いただけで、
ゴミ箱行きになった。
人生とはしがみついてでも生き抜くものだ。
それを、何年も、死にたい、死にたいと言い続け、
やっと死んだ時には、ムダに何人もの女性を道連れにした太宰治は、
男として最低だ。

ああ、
今日の私はいつになくネガティブだ。
きっと旅に出ていないせいだ。

そろそろ、次の旅の計画をたてたほうがいいかもしれない。

(Victoria)

・・・
なお、生徒の自殺事件については、こちらにも書いています。
ねえ、どうして死んじゃったの? - Victoriaの日記

太宰治の本はこちらです。

晩年 (新潮文庫)

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