純愛を求めて (3) 純愛は二股を許さない 

こんにちは。Victoriaです。

さて、
Victoriaの日記で、
純愛の女神のような方といえば、
この方、








ナツメさま。






(以下、ナツメさまのメッセージより)

>>「結婚」が大事か「愛」が大事か。――自分はどちらかというと「愛」を優先して生きて参りました。

 現在のダーリンに出会うまで、いちおう人並みにオトコに出会ったり別れたりを繰り返してきたけれど、その時々で、自分の中では常に「私にとってはこの人! きっとこの人が運命の彼」だと思いながら付き合っていました。
 ですから、他人様からはどう見えようと、基本的に、私にとって「二股」はありません。相手の男にも許しません。
 けれども、一度だけ、心ならずも二股状態になったことがあります。もちろん、そのときも自分の中では「本命の彼」がどちらの人かは、はっきり定まっていたんですけどね。…

 どちらの「彼」も、客観的に見て高学歴の人でした。

 本命の彼は年上で、体の相性もばっちり良くて、当たり前ですが、ほんとうに大好きでした。
「サブ」で付き合っていた方は、年下で、お茶しながら話しているぶんには最高に楽しい、女友達のように付き合える気さくな「お友達」でした。ただし、万が一、本命の彼に逃げられた場合には、いちおう「こっちもアリか」と思っていましたので、まあ、それなりに切れない程度に付き合っていました。
 さて、そのときの本命の彼は、親御さんにも紹介してもらっていました。だから私は、その彼と結婚する気まんまんでおりました。
 しかし、半年、一年と付き合いを続け、デートを繰り返すうちに、少し疲れてしまったのです。
 疲れてしまった理由の一つは、彼の実家が、私の実家に比べると、はるかに家柄の良い人だったこと。
「いまどき、そんなことあるの?」って思われそうですが、家柄の違いは、長く付き合えば付き合うほど、見えない傷のように、ひび割れのように彼と私の間を蝕んでいたのです。

 つまり、日常生活のささいなことで、価値観や生活レベルがいちいち違うことがわかってきたのです。彼は、少しずつですが、私のことを「下品な貧乏人の子だな」と軽蔑の目で見るし、私は私で彼のことを「お高くとまって、どうでもいいことに贅沢する、気障な人」と不愉快に感じてしまう。
 …そんな風に、少しずつ、溝ができていったのです。
 もう一つの理由は、彼の理想とか、夢とか――将来彼が何をしたいのか、ビジョンが今一つはっきり見えなかったことです。
「男の夢は女に話してもわからない」という考えもあるかと思います。けれども、数年後ぐらいには結婚しようとか、一緒に暮らしていこうと考える以上、パートナーになる人が「何を目指して生きているのか」、「これから何をして生きていきたいのか」それを知ることは、私にとっては、けっこう重要なことだったのです。
「この人、将来、いったい何になりたいの? どうしたいの?」そうした疑問がまったく解決されず、知的な会話――私は、面白かった本とか、良かった展覧会とか、海外旅行で見聞した興味深い話などを、カレシを相手に、あれこれ尋ねたり話したりするのが好きなんですが――そんな話の一つもできなければ、真面目な将来の設計などについて尋ねても、のらりくらりとかわされる。

 そんな状態が続くと、私はだんだん、彼に対して漠然と不信感を抱くようになりました。

 面白いもので、ココロの中で相手に不信感を抱いてしまうと、それまで大好きだった彼とであっても、ナニをするのも、何だか嫌になってしまうものなんですね。
 ――そういうわけで、そのときの本命の彼とは、自然消滅しました。

 客観的に見れば、私は捨てられたのかも知れません。

 しかし、形はどうあれ、彼が私に向かって「別れよう」と言ったときには、実際、すでに私も「あ、この人駄目だ、これ以上付き合っていても、何もいいことなさそう。」…と解っていました。
 だからタイミング的に、どちらから先に言い出すかというだけの違いで、「もう別れよう」という考えは、お互いに持っている状態だったのです。
 長くなってしまいました。

 さて、前述のとおり、当時の私は二股していました。というか、「本命がダメになったら次はこいつ」という相手が控えていました。
 そして、まさに本命の彼と別れたところまでお話しました。
 
 ですから、それから私は、その、年下の「サブ」の子と本格的にお付き合いをするように――なるだろうと、自分でも予想していました。
 …でも、違うんですね。サブはあくまでも「サブ」。それは、ほかに「本命」の人がいたからこそ、付き合っていて楽しい相手だったのです。
 不思議なことに、本命の彼と別れてみると、サブの子の魅力も、ぐっと薄れてしまいました。――というか、本命がいなくなると、サブの子に対する興味も消え失せてしまったのです。

 思うに、「二股」ができるときというのは、要するに、「どちらの人からも『カレシ一人分』の満足が得られていない」ということなのかも知れません。
 今回は、何が言いたかったかというと、要するに、ただのお付き合いならともかく、結婚を目指すなら、女子にとって「二股」って、意外に虚しい。二股ができるときの相手というのは、けっきょく、どちらの人も「帯に短く襷に長い相手だ」ということなのだから。
 …という話だったんですよ。
 失礼しましたぁ。<<







家柄が違うから、
結婚できない・・・







うん、
そういう話は、
ぶっちゃけ、
よくある・・・








そういうことを言われたら、
言われたほうはどうしようもないので、







ずっと言われ続けることを承知でお嫁に行くか、
ごめんなさいもっとふさわしい方をみつけて幸せになってください路線で行くか、
二つに一つなんだけど、








前回、
純愛は遺伝するという話をしたんだけど→純愛を求めて (2) 純愛は遺伝する - Victoriaの日記









家柄にこだわるとかっていうのも、
同じく、
遺伝するんじゃないかと思っていて、








そういう人たちというのは、
今回は家柄を持ち出して来たけれど、










家柄が問題にならないような相手に対しては、









学歴が釣り合わないだの、
経済力が釣り合わないだの、
はたまた、
家風が違うだの、









とにかく、
相手の中に、




「おたくは我が家のここんところと釣り合わないのよ、わかってらっしゃる?」



的な穴をみつけるのが天才的にうまく、










おそらく、
そういう人たちは、
相手の欠点を見つけ、
この点では相手は自分たちよりも劣っている、
ということを確認することで、
優位に立ち、
そうすることでしか、
他人と安定した人間関係を構築できない人たちなのではないかと、
常々思っていて、









Victoria、
家柄に何か恨みでもあるのか・・・???










あります、
とてもここでは語れないことが・・・









なので、
一言、
よろしいでしょうか?











家柄でメシは食えねえんだよ!!!!!










・・・


それで、
純愛に話戻すと、








結婚の話が出た時に、
お互い、
完全に経済的に自立していて、







かつ、
お互いの両親が、
子どもは子ども、親は親的な考えの持ち主であれば、








完全に二人だけの考えで、
結婚式をどうするか、
新居をどうするか、
子どもをどうするか・・・








何でも決めてOKなんだけど、








幸か不幸か、
家族から引き継ぐものの多い人の場合、









例えば、
土地財産があるとか、
親族の会社の株をもらうとか、








あるいは、









「うちの息子をここまでに育てあげたのは、
どこの馬の骨かわからないそこいらへんの女とくっつけるためではないんざあますよ」









的な、
非常に固い母子の絆をお持ちの場合、









親の了承なしに、
そこに割って入るのは、
至難の業。









そう考えてみると、
日本の歴史の重みを感じる瞬間というのは、
家柄の違いを理由に、
結婚を断られた時かもしれない・・・









・・・ということで、本日の結論 :







プライドの高い家族に生まれると、
純愛を貫くのはとても難しいものなのかもしれません・・・











うん?
二股の話はどうなった?








それはもう、









純愛は二股を許さない









に決まってます・・・よね・・・たぶん・・・???








Victoriaでした。


・・・


純愛を求めて バックナンバーはこちら。
純愛を求めて - Victoriaの日記
純愛を求めて (1) 太賀麻郎、純愛を語る 「セックスを含めて、恋はいつでも純愛」 - Victoriaの日記
純愛を求めて (2) 純愛は遺伝する - Victoriaの日記