永遠の愛を求めて (5) 酔ってゲロしてる女にキスできるか?

こんにちは。Victoriaです。

さて、
「永遠の愛を求めて」というデカいお題に挑戦中のVictoriaに、
強力な助っ人登場。









ナツメさま。










いつもありがとうございます。











ナツメ様が、
とても深い話をして下さっていますので、
ご紹介したいと思います。





>>「愛」というものを、「好き」の延長で語るならば、話はどこまでもきれいごとで終始してしまい、深いところに落ちてこない気がします。
なので、敢えて書かせてください。少し汚い話になりますので、お食事中の方、これからお食事なさる方は、どうぞ済ませて、お茶を飲んだあとにしてくださいね。(Victoria 様もね。)



(1)婚約者が、そそうをしたら

学生時代、私の親友が大学院の先輩と婚約し、その結婚式には彼女の指導教官が仲人をしてくれることになりました。こりゃめでたいということで、その教授のお宅に教え子一同が招かれ、ちょっとした晩餐会が開かれたのです。

その指導教官は、大学教授で詩人で、偉い人だったのだけど、とても気さくな良い方で、「肴はあぶった烏賊でいい〜♪」と歌いながら焼酎に梅干しを入れて呑むのがお好きな方でした。

というわけで、最初は上品だった宴も、夜更けになると、へべれけになった学生が幽鬼のごとくトイレに駆け込み、くだをまき下級生に絡むという惨事を呈してきました。
私の親友と、その婚約者の男性もまた、べろべろに酔っていたのですが、そこで、とうとう彼氏がそそうをしたのです。
私はあっけにとられて一歩も動けませんでした。けれども、私の親友は(もともと酒に強い人なんですが)気丈に立ち回り、婚約者のカレシを介抱しながら、ちゃっちゃと床を掃除しました。

――相手が婚約者なら、汚物にもひるまず片付けられるのか?
当時の私には、いろいろとハードルの高い光景でした。


(2)愛が試されるとき、人はもはや若くはない。
さて年月は経って、わりと最近の話です。
私のダーリンのお薦めで、『アウェイ・フロム・ハー――君を想う』という映画を観ました。
内容は、大学教授の美しい妻がアルツハイマー症候群になって、教授は彼女を特別養護老人ホームに入れる。教授は彼女を愛してはいるが、彼女の心は、どんどん彼から遠ざかってしまう。――というもの。

この映画は、私の彼も、一緒に観るまで内容を知らなかったので、見終ってから「どう思う?」と顔を見合わせてしまったものです。まあ、私も彼も身につまされたというか…お互い若くないのでね。

若くて、お互い美しく心身ともに健康なときは「すきだすきだ結婚しよう他の事はどうにでもなる」で構わないんですよ。
でも、結婚していようとしていまいと、お互い歳をとり、病気になったり、貧乏になったり、いろいろ老醜を曝す年頃になったら、いったいどうなるのか。
実は、そのときこそ、「愛」って言葉が本来の重みをもってくるんじゃないでしょうか。

(3)愛、それは男女の仲でなくとも必要
男女の話ではありませんが、ミッチ・アルボムという人の書いたノンフィクション小説『モリー先生との火曜日』という本が映画になり、DVDも出ているようです。
この小説のモリー先生は、難病で死を宣告されており、「僕が死ぬまできみに講義を授けよう。僕はきみの先生だからね。友達として、毎週、僕に会いに来てくれるね?」と軽いノリでミッチに「死に臨む人の心得」を説きます。
で、このモリー先生は、どんどん病気が重くなって、「授業」の最中に、生徒であるミッチにシモの世話をさせたりするのですが――ミッチはというと、モリー先生に心酔しているので、何だか何の抵抗もなく、できちゃうんですね。「ああ、これが人間の死に向かう姿なんだな」とか、素直に納得しちゃって。
でも、やっぱりそれは、ミッチの側に、モリー先生に対する「愛」があるからだと思うんです。
愛がないと、やっぱりできないことだと思うんです。



(4)愛は汚物を越えるか

世の中には、愛する技術というか、性技にも様々あるようですが――スカトロとかそんな方向に走るまでもなく、人間、年をとって介護が必要になったりすれば、誰だって、普通にシモの世話は必要になるでしょう。

それは、
「うちはいいのよ、お金があるから連れ合いは特養老人ホームに入れて、介護は係りの人にやってもらうから。」
こんなことが言えるような、恵まれた人以外には、だいたい付いて回る問題なのです。
あなたは愛する人の「おむつ」を、替えられますか?
――本当の「愛」が試されるのって、あんがい、そんな「汚い」場面だと思います。
ちなみに自分は、最近フッと「あ。私、彼の世話ならしてもいいな、できるな…」と思ったのです。
実際の技術はともかく、気持ち的には、ようやく「彼のためなら、できる」と言えるような気がしてきた今日この頃です。<<









これ読んでまっさきに思い出したのは、
学生のころ、
毎日、毎日、合コンに繰り出しては、
あっちへふらふら、こっちへふらふらしていた時、
誘えばいつもやってきた友達が、
ある日を境にぷっつりと姿を見せなくなったので、
どうしたの?って聞いたら、










「私、ついに見つけたのよ❤ホンモノの彼を❤」










「え〜、どんな人〜???」












「彼ね、
飲みに行って酔っ払ってゲロしてる私を介抱してくれたの❤
ゲロしてる女に口づけしたのは初めてだって言われちゃった❤」













あの時は衝撃で、











それはホンモノの愛にちがいないと、
納得したんだけど、












彼女、
何でそんなに酔っ払ったかっていうと、
前の彼とぐちゃぐちゃしてて、
何がなんだかわけわかんなくなっちゃったからなんだけど、










前の彼には、
自分の気持ちをわかってもらおうと思って、
いろいろ手をつくしてたんだけど、
結局ダメで、









半年くらいもめてたかな〜、










そういうすべてのもろもろのことを、
いともあっさり乗り越えてしまったのよ、キスが・・・










・・・ということで、本日の結論 :











酔ってゲロしてる女にするキスは最強。









愛って結局、
言葉じゃないんだ、
行動なんだよねっていうのを、
こういう話を聞くとつくづく思うんだけど、











たぶん、
汚いとか、
メンドクサイとか、
そういうことを考える余地もなく、
体が動いちゃうんだと思うのね、
こういう時って。











相手にかかわらず、
ゲロの世話とかちゃっちゃっとできちゃうすごいできた人もいるけど、












少なくとも、
家族とか、
身近な人、
自分にとって特別な人のは、
普通にできる自分でありたい・・・










・・・ということで、本日の結論 :







愛はきれいごとではない。











Victoriaでした。