ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (35) フレグの大西征と暗殺教団

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「フレグの大西征と暗殺教団」






1251年、
モンゴル帝国第4代皇帝に即位したモンケ、
早速、皇帝としての支配力を強めるため、
1252年、
弟のクビライを雲南
1253年、
もう一人の弟フレグをイラン方面へと出立させる。






なお、
末弟は、
遊牧民族の伝統では本家を継ぐ決まりになっているため、
遠征させず、
自分のもとへ留め置いている。










4兄弟の相関図は、
こちらを参照。

余談ですが、
毎日チンギス・カン一家の家系図書いてるおかげで、
ついに資料見ないでそらで書けるレベルに到達しました・・・








まさに、
習うより慣れろ・・・???










クビライについては、
この講義の後半でたっぷりご紹介するので、
今回は、
フレグの大西征についてみていきます。










・・・



フレグが西へと向かった時代が、
どういう時代だったか簡単におさらいすると、










13世紀前半、ユーラシア大陸の東半分で大暴れしたのがチンギス・カンだとすると、
西半分のほとんどを掌握していたのが、
ローマ皇帝フェデリーコ。









この講義の前半(2)〜(20)は、
ほぼ、
フェデリーコの話で埋まっているといって、
過言ではない(クライマックスはこちら→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (14) 第5回十字軍 フェデリーコ2世とアル・カーミルの友情 (フェデリーコ2世について簡単に知りたい方必読。これさえ読めば一発でわかるよ♪) - Victoriaの日記











フェデリーコが死んだのが1250年なので、








フレグが西へと向かったのは、
西の太陽が沈んだ翌年だったことになる。









さて、
フレグが向かった先は、
イラン。










地図で確認すると、
こうなります。
赤い斜線部分がフラグが征服して建てたイル・ハン国です。

西へと向かったフラグは、
1256年、ニザール派を屈服させ、
1258年、アッバース朝を滅亡させて、
1260年、
イル・ハン朝を建国した。









ここで登場するニザール派は、
別名「暗殺教団」。









敵の有力者を次々暗殺していったため、
暗殺教団として恐れられた。









伝説によると、
山の上に城をつくり、
そこに若者を連れてきて、
麻薬(=大麻)を吸わせ、
再びここに戻ってきたければ、
ミッション(=暗殺)をコンプリートせよ、といって、
敵の陣地に送り込んだという。










大麻のことをハッシシ(hashishi)と言うが、
これが暗殺(assassin)の語源にもなっているのは、
ニザール派から来ている(ニザール派の始まりについてはこちら→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (10) セルジューク朝の内紛と十字軍の発端 - Victoriaの日記









フレグは、
ニザール派の占拠する山を、
5年がかりで全部つぶしてから、
バクダードへと向かい、
アッバース朝を滅亡させた。








モンゴル帝国に降伏したニザール派は、
城を明け渡し、
モンゴルへと送られた。









彼らの子孫は、
パキスタンのアガ・カーンとなって、
生き延びている。










Victoriaでした。



・・・


ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ バックナンバーはこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記








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