センター試験が終わりました
さっき内田樹先生のブログを見たら、「センター試験が終わって死ぬほど疲れた」ことが書かれてあった。
ああ、疲れた - 内田樹の研究室
内田先生は今年入試部長でいらっしゃるので、それこそ、答案を「出棺」するまで死ぬほど忙しかったはずなのです。
お疲れ様でございます。
受験生からのいろんなクレーム対応の苦労を書かれていて、そこに「となりの人のシャーペンの音がうるさい」というのがあった。
内田先生、これは全然極端なクレームじゃございませんよ。
ごく普通の高校生が、ごく普通のクレームとして日常的にのたまわっておるのでございます。
「貧乏ゆすり」「誰かが咳をした」「監督者の足音がうるさい」
そんなの序の口です。
英語のリスニングでは、ひとりひとりが機械操作して受けますよね。
あれ、一年目は、みんな好きな時に再生してたんですよ。
それが、「隣の人のボタン操作がうるさくて集中できない」
てことになって、いまじゃ、全国的にみんな一斉に「せーの」で再生ボタン押すんです。
そんなんだったら、一人一台配るの意味ねーじゃないか。
一斉に放送しろ!
とか、思いますけど、あんなふうにどんどん、どんどん、細かいクレームに対応していったらセンター受ける方も、監督する方も、はたまたセンター試験作るほうも、みんなが不幸になっていくばかり。
そんなのろわれたような試験で、人生の出発点が決められる日本の高校生ってホント、不幸だと思う。
なんか、もっとおおらかに、楽しくできないものなのか。
今日、全国の高校生は「自己採点」というヤツをやり、得点をマークして、それを予備校(河合塾・駿台・代ゼミの三つに出すというのが定番)に送り、予備校は社運をかけてそれを処理して水曜日には
「あなたの志望校合格可能性は60%です」
という結果が生徒の手元に返ってきます。
で、それを見て、学校の先生とどこに出願するかを相談して、二次試験の勉強を始める。
学校の先生は何にも指導なんかしてないですよ。
予備校のデータに基づいて、
「浪人生を出さないために安全策をとるか」
「合格実績を出すために強気で出願するか」
というそれぞれの学校の方針で生徒を振り分けるだけです。
今、大学に入学した学生の1割が、一年以内にやめるそうですが、こんな進路指導じゃやめるわな。
なんか、一番大切で、一番じっくり考えなければならないはずの進路の決定が、いつもいつもデータに追われるばっかりで、ゼロベースでまず自分の気持ちを確かめようよ、っていう時間が今の高校生にはないんですよ。
大学選びは、カタログショッピングじゃないんだよね。
そこで楽しくやってる自分っていうのをイメージできないとほんとじゃないって思うんだけどな。
みんな、自分の人生なんだから、もっと楽しいやり方で決めようよ。