内田樹著「態度が悪くてすみません」

本日は多忙につき、座っているひまがなかったので、仕事中に1分とか2分とか時間をぬすんでこの本を立ち読みしました。(態度が悪くてすみません)

一番気に入ったのは、「私のハッピー・ゴー・ラッキーな翻訳家人生」というエッセイです。

内田先生って、学生の頃から翻訳家としてお仕事されていたんですね。
で、これは、翻訳家をめざす人のための通信教育のテキストにのった文章なんだそうです。

キロ単位で翻訳をこなし、ずいぶん荒稼ぎされた(先生は修行と称しておられます)体験の後、先生はついに「翻訳の極意」を習得されました。それは、

「クライアントにとって読んでいて気持ちよい状態」を確保することが何よりも重要で、「意味のわからない日本語」を書かないようにすれば、絶対に「誤訳」が発覚することもない。だから、わからないところはあえて「見落とし」て「訳し落とし」する。

ということだそうです。

う〜ん、キロ単位で超人的スピードの翻訳をこなしておられたからこそのお言葉。

私も、「どんな仕事でもやってみよう」と片っ端からいろんな仕事にチャレンジしていた時期に、おそれおおくも「通訳」をやったことがあった。どこかの会社のエライさんのおじさんにぴったりくっついて、通訳をしたことがあったが、このおじさん、やたら文章が長い。それに日本人の基準からしても前置きが長く、英語にするにはあまりにも空虚な内容なので、ものすごく途中をはしょってコンパクトに要約して訳したことがある。

当然、おじさんはおこりました。「キミ、ちゃんと訳してないだろう。今の短すぎるじゃないか」ということで、お客さんが目の前にいるのに、通訳の私に向かって怒り出した。

その時、通訳の仕事のツボがわかった。それは、

「透明人間になること」

だった。自分の意見を持っちゃいけない。訳している時に、その内容について考えてもいけない。
通訳マシーンにならなくちゃいけないんだって。

自分にはとうていムリだと思ったので、通訳はあきらめました。今では、時々ボランティアでお手伝いする程度です。

それにしてもこのエッセイは、内田先生がたぶん意図しておられる以上に非常に示唆に富んだ文章でした。プロの職業人として大切なのは、何よりも「結果オーライ」という職業倫理上の鉄則である、とかは、さらりと書いておられますが、付箋にメモってデスクに貼っておきたいようなお言葉です。

文章も同じ。結局、どういう意図を持って書き手が書いたか、ということは問題ではなくて、読み手が読みたいものを気持ちよく読んでいただく、ということだけが大事だということ。

二番目に気に入ったのは、「本が読む」というエッセイです。

先生は、「人間は必ずその人が必要とする時に必要とする本と出会う」という確信をお持ちで、この文章はそのことを証明するために書かれています。

それで、お母さんたちから「うちの子は本を読まないんです。どうしたらいいのでしょう」「うちの子は、何の役にも立たない本しか読まないんです。どういう本を読んだらいいか、指導してやってください」などと相談を受けた時に感じる「何かちょっとずれてるんじゃないか」っていう違和感のことを思い出しました。

お母さんたちは、あらかじめ、読む前から「これこれこういう効能がある」という保証書つきの本を子どもに読ませたがるんです。でも子どもが読みたい本は、ナンセンスな本(お母さん目線から見て)が多いので、親子の意見が合わない。それに、「うちの子は本を読まないんです」とおっしゃるお家は、まず、家族全員誰も本を読まないことが多い。あ〜あ、なんで最近のお母さん達は、どうしてこう育児に効率化を求めるのか。とにかくやることすべて、ムダにならないっていうのがすごく大事なわけですよ。本を読むのも「将来のためになる本ならよい」。英語の早期教育も「それが将来役に立つならよい」。子どもにまつわるすべてが、将来のための投資の位置づけで、まず、その時が楽しければいいじゃないか、っていうおおらかな子育てのお母さんに会う方が少なくなりました・・・

どうも、内田先生のご本を読むと、「下流志向」を読んだ時の自分に戻ってしまうなあ。そろそろ脱却しなければ。

「態度が悪くてすみません」は、とても楽しい本でした。
先生はご自分のことを「態度が悪い」とおっしゃってますが、実際は、ものすごく常識的な職業人でいらっしゃるのではないでしょうか。ただ、普通に「すみません」などとおっしゃっていても実はその裏には100のつぶやきがかくされている、と。

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