伊関友伸著「地域医療 再生への処方箋」 第4章 夕張希望の杜の地域医療再生(3)

地域医療 ~再生への処方箋~

地域医療 ~再生への処方箋~

第4章 夕張希望の杜の地域医療再生
3 夕張医療センターの活動
(1)夕張市立診療所の診療開始

  • 住民に怒った村上医師

2007年4月1日、「夕張希望の杜」が夕張市の指定管理者として運営を受託。夕張市立診療所がオープンした。さっそく村上医師は、村上流の診療を開始する。

当時の夕張市民の中には、診察をせずに薬を求める住民が数多くいた。市販の風邪薬を買うためにお金を出したくない住民や、札幌市内の大病院で診察した時の薬を診察なく処方することを要求する住民。これらは「無診察投薬」で医療法に反する行為だが、これが当たり前のことになっていた。

このような住民と村上医師は正面から向き合い、延々と議論を行った。

また、タクシー代わりに救急車を利用することや、緊急性の低い夜間救急受診に対しても、村上医師は厳しい姿勢で対応した。実際、村上医師は、夕張市立診療所に通う患者の救急対応について、一人で担わなければならなかった。次第にムダに医療資源を利用する住民は減少し、現在では、一日平均の夜間救急の件数は1を切っている。

  • 地域での往診開始

応援の医師が派遣され、少し余裕ができると、村上医師は地域での往診を開始する。それまで、夕張市内では、地域に出向き、往診する医療機関はなかった。

往診を行う村上医師の視線は、自分勝手に医療を消費しようとする住民に対する厳しい視線とは違い、とても柔らかい。

「在宅でがんばっている人たちを大事にしなければならない」
が、村上医師の口癖だ。

総合医は、専門診療科や臓器にとらわれない全人的な診療を行うとともに、患者の背景や家族、地域を考慮した保健、医療、福祉サービスの連携を促進し、提供するコーディネーターとしての役割も有する。外来を訪れる患者の9割までは総合医で対応が可能であり、総合医には、専門医に紹介しなければならない残りの1割を迅速に見つけ出し、的確な専門医へ送る力が必要となる。

夕張市立診療所は、夕張市のバスの運賃値上げによる高齢者の負担を軽減するために、独自の送迎バスの運行を行っている。老人保健施設夕張を含めた夕張医療センターをかかりつけ医とする患者の救急対応のほか、観光客への24時間態勢での医療の提供を行っている。

<考察>
地域での往診っていうのを読んで、昔は、お医者さんって家に呼ぶものだったっていうことを思い出した。

昔すぎるかもしれないけど、国学者本居宣長は「家庭医」で、毎日、呼ばれると薬箱を持って往診に出掛けるのを日課としていた。

お弟子さんたちに、国学の講義をしている最中でも、呼ばれると講義を中断して出掛けたというエピソードが残っている。

そういえば、昭和の時代って、お米やさんとか、魚やさんとか、豆腐屋さんとか、みんな地域に売りに来たものだった。お米やさんなんて、お米がなくなるころを見計らって「そろそろお入り用やないですか〜」ってご用聞きにきたものだ。

各家庭に、ママのお買い物用の自家用車が登場して、お米はスーパーで買うものになったけど、お米やさんがご用聞きに来た時代のほうが豊かだったかも。いっしょにお酒とかおしょうゆも届けてくれたし。魚や豆腐も新鮮なのを、家から持参のなべに入れてもらっていたころは、レジ袋なんて無縁だった。あのころは、今より主婦の仕事は大変だったけど、でも、主婦業の合間に、行商のおじさんやおばさんとおしゃべりするゆとりがあった。

お医者さんも、家に往診に来てくれれば、患者がモンスターペイシェントになって、医者を罵倒するなんてありえないと思う。「遠いところをわざわざすいません」って、絶対に言うと思う。

日本人が、急に根性の悪い人間ばかりになったわけでは決してないはずだ。

家に往診に来てくれたお医者さんに、さりげなくお茶を出したり、往診の帰りに、ふっとお医者さんが別の患者さんの家に立ち寄って様子を見たり、そういうフットワークの軽さが、日本人の良さを下支えしていたのではないか。

どうして往診すると、医者も患者もやさしくなれるのか、ということを考えていて、子どものころの遠い記憶を思い出した。

ご用聞きの文化。
確かに、昭和の時代とともになくなってしまったけど、できればまた復活してほしい。

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