「河村劇場」のこれから 年のはじめに考える 中日新聞社説より

こんにちは。Victoriaです。

1月3日中日新聞社説は、http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2011010302000007.htmlでした。

>>名古屋市河村たかし市長(62)が登場し、これほど地方政治が注目される時代はありません。地方選挙が相次ぐ今年。私たちが考え、判断する年です。

 四十年以上も前。東京・一橋大の聖書研究会の一室に、男子学生がひょっこり入ってきました。

 カーキ色の作業着で草履ばき。研究会に所属する友人と「それでよう」とか格好付けない名古屋弁がポンポン。部屋にいた静岡県磐田市の前市長、鈴木望さん(61)が初めて見た河村市長でした。
“異彩”市長生まれる

 クリスチャンの家庭に育った鈴木さんは多感な青春時代、神は本当に存在するのか疑問を抱き「大学に入ったらじっくり聖書を」とこの会に入ったのですが、自分とは違う開けっぴろげな性格にひかれ、付き合いを深めます。

 三十七万人分近くの有効署名を集め、市議会解散を問う住民投票に持ち込んだ河村市長派の市民団体の代表を買ってでたのが、この鈴木さんです。

 「確かに風変わりだったけど…」。鈴木さんがそう振り返る若者がなぜこれほど異彩の政治家になったのか。謎を解く鍵は、大学卒業後の挫折の歳月にあります。

 家業の古紙回収業を継いだものの父親とぶつかり、次に司法試験に挑みますが九回失敗。そして目指したのが政治家の道でした。

 地盤も看板もかばん

(資金)もなし。どうやって認めてもらうか。悩み、苦しみ、試行錯誤もしたでしょう。自ら有権者に近づき、何を望んでいるか敏感にとらえる河村流となるのです。

 看板がないから「名古屋から総理を狙う男」というキャッチフレーズを考え、お金がないから自転車での街宣を始めました。銭湯に立ち寄って湯船に飛び込み、裸で演説をぶったことも語り草です。
市民の心つかむ秘密

 細川護熙元首相の日本新党に加わり、新党ブームに乗って一九九三年の衆院選で初当選。大学を出て二十一年、やっと念願をかなえたのです。再選を目指した三年後の衆院選で事務長だったのが、河村市長も秘書を務めた故春日一幸氏の先輩秘書だった名古屋市議の渡辺義郎さん(72)でした。

 ライバル候補は街宣カー。奥さんから「自転車で大丈夫でしょうか」と心配そうに尋ねられたそうです。でも「雨降りこそチャンスだ。ずぶぬれになれ。家の窓からきっと見て感動してくれる」と河村市長にはっぱをかけ、激戦を制して再選を果たしました。

 そして、一昨年四月の名古屋市長選でも同市長選最多の五十一万票で圧勝しました。

 政治が有権者から遠のいてしまった時代。河村改革を認めぬ議会は解散だと、市長自ら呼びかける強引な手段でも支持が多いのは、市民の不満をつかみ、代弁できる河村市長ならではの手腕です。

 小泉純一郎元首相の「小泉劇場」もありましたが、今は名古屋の「河村劇場」が盛り上がっています。市民の気持ちを肌身で知り尽くす河村市長は、世襲や官僚出身の政治家たちの多くとは恐らく「役者」が違います。

 あれほど期待を集めて政権の座についた民主党も、マニフェストが次々とほごになる。河村市長が「公約は絶対守らないかん」とこだわり続ける姿勢に、市民が拍手するのも当然かもしれません。

 でも、私たちが気をつけたいのは劇場の成り行きばかりに目を奪われていると、劇場の外の現実が見えなくなってしまうことです。

 国も地方も日本は行き詰まっています。何より必要なのは、この苦境を変えられる現実的な政策のはずです。市長と議会の対立の原因は、河村市長が掲げる市民税の10%減税恒久化や議員報酬半減ですが、対立が激化しても、政策の議論は深まったでしょうか。

 先ほどの渡辺さんは今、市長と対決する議会の一員です。けれど、河村市長が出直し市長選のため辞職願を出した夜、心配で携帯に電話をかけました。でも電話口の市長はほろ酔いだったのか、思いは伝えられなかったそうです。

 舞台では声援を受けてはいますが、河村市長の政策を練ったブレーンたちが去り、政策を詰め合う知恵袋がいないのでは、との心配も周囲から漏れてきます。
私たちが問われる番

 今年は統一地方選の年です。何より、河村市長も再出馬する出直し市長選と、議会解散を問う住民投票、愛知県知事選のトリプル投票が二月六日に行われます。

 知事選の出馬予定者から大胆な公約が次々飛び出していますが、問題は具体的に詰めたものか、本当に実現できるものか、です。

 私たちが役者たちの派手な立ち回りだけに目を奪われていると、役者たちもそう演じようとするだけです。私たちの目と判断の問われる一年です。
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Victoriaでした。