「毎日かあさん」の小泉今日子

こんにちは。Victoriaです。

さて、いよいよ公開が近づいたhttp://www.kaasan-movie.jp/movie/intro/index_02.html

サイバラ役の小泉今日子のインタビュー記事が毎日新聞で連載されており、楽しみに読んでいるのですが、朝日新聞にも載っていました。
とてもおもしろい記事なので、ちょっとここでご紹介。

http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY201101280318.html

>>キョンキョン、と呼ぶのは、何となくためらわれた。

 1980年代を代表するアイドル。フリルのミニスカートで「渚のはいから人魚」や「なんてったってアイドル」を歌い踊る。その残像が頭にあると、女優業が板に付いた現在の居住まいに戸惑う。遠くを見ているような、達観した風情で……。

 新作映画「毎日かあさん」は、ほぼ全作品を読んでいる西原理恵子の漫画が原作。好きな作家だから、かえって出演したくなかった。その気持ちを翻したのは、監督やプロデューサーから聞いた「見る人が元気に、たくましくなれる映画になればいい」という話だった。

 母親役は経験済みだが、今回はわんぱく盛りの6歳と4歳の子供に振り回される。「小さい子を育てると、毎日大きい声を出さないといけないのかって。カメラが回ってない時も『もう、走んない!』みたいな」

 とはいえ、割と自然に演じられるとか。「小さい子が拾ったものを食べたら、女は『ダメ』って絶対言うと思うんですよ、知らない子でも。男より子供と関わることが多いから」

 家族を混乱させるアルコール依存症の夫(永瀬正敏)と一度は離婚。闘病する姿を見て再び受け入れる。永瀬とは実生活でも夫婦だったが「記憶にないですね、昔過ぎて。共演できているのは、いろんなことをお互いに消化したから」とあっさり。

 歌手に女優に、新聞の読書委員。いろんな顔があり、肩書は「自分からは言わない」。そんな「コイズミ」も、2月5日の公開日前日に45歳に。将来の理想像がある。生きてきたことが表情や言葉に出てくるような、「格好いいおばあちゃん」だ。

 自分の経験、言葉、考えていることが、40代から調和してきたと実感する。「老いに向かって変わっていく、その入り口が見えてきた気がして。それを、進化と呼びたいです。10年、20年、30年後がすごい楽しみ。いまは45歳の若造、って感じ」

 奔放な素顔も。「年末年始に、外へ出たのは1回だけ。買い物で仕方なく」「家では猫と寝たり、本読んだり、映画やテレビを見たり。仕事以外の趣味もない」「出無精で、人に会うの、ホントに嫌いなんです」

 浮世の雑事に惑わされない、仙女のよう。アイドルの進化形が、輪郭を現し始めた。 <<

永瀬との結婚生活を「記憶にないですね、昔過ぎて」とは、さすがキョンキョン・・・

では、毎日新聞の連載のほうを見てみましょう。
すでに4回分が掲載されています。

まずは第1回目。
http://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110125ddm012070037000c.html

>> アイドル全盛の時代から常に第一線で活躍してきた。歌番組、ドラマ、映画、舞台、CM……。さらにエッセイスト、書評家としての活動も広がるばかりだ。同世代の女性のファッション、読書傾向から生き方まで、あこがれの存在で、今も精神的、文化的なよりどころであり続けている。

 《漫画家、西原理恵子さんの大ファン。2月5日全国公開の映画「毎日かあさん」にサイバラ役で主演している》
 

 西原さんの作品は大好きでほとんど読んできました。脚本が送られてきましたが、「毎日かあさん」は生身の人間が動く必要がないのでは、とずっと思っていました。アニメになった時点(09年4月テレビ東京)でこの作品は旅立っている、と。小林聖太郎(しょうたろう)監督と原公男プロデューサーと話をする前の日に、きっちりと読みました。よく書けていると思いました。

 《80%ぐらいは断ろうと考えていたが急転直下、受けることになった》

 何かを決める時の最終的な判断は、勘とひらめきに頼ることにしています。お二人の目がきれいだったんです。それと、仕事を一緒にする人で好きなのは、自分の体験から話をきちんとできる人。原プロデューサーが、朝新聞でこの漫画を読むと嫌なことがあっても「まーいっかー」って少し元気になると話していました。監督の映画化への熱意と無邪気な表情にも好感を持ちました。お二人の話を聞くっていうより、観察しているうちに心が動きました。

 もう一つ大切だったのは、西原さんを「絶対傷つけてはいけない」ということでした。ほかのアニメの映画化とは違う。もっと繊細なものだと思いました。この人たちなら傷つけないな、という気持ちになったのです。

 《撮影は昨年夏だ》

 本当に暑かったです。猛暑の中、1カ月間、毎日かあさんをしました。世の中のお母さんたちはこんな大変なことを一生やり続けるのかと、途方に暮れました。でも、そんなお母さんたちを応援する映画になりました。<<

何かを決めるときの最終的な判断は、勘とひらめき・・・
ウン、すごくよくわかるなあ・・・その感じ・・・

では、第2回目。
http://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110126ddm012070014000c.html

>> 《小泉さんが映画「毎日かあさん」の現場の雰囲気を作った》

 どの現場でも、全体のムードは絶対女優にかかっていると思います。「トウキョウソナタ」(08年、黒沢清監督)の時もそう感じました。今回は特に、小さな子どもたちと一緒に仕事をしているので、この子たちが朝、楽屋に入ってくる時に勢いよくうれしそうに入ってくる毎日にしたかったんです。夏休みをつぶして、友達が旅行とか行っている中、毎日現場に来て、大人にああだこうだ言われているわけで、毎日来るのが楽しい、っていう環境は、絶対お母さん役の私が作るしかないと考え、そうしました。

 《本当の家族のような現場だった》
 

 そうやって、自分も含めてだましていくしかないですからね。だから、家族みんなでいつも一緒にいたんです。

 《小林聖太郎(しょうたろう)監督(39)にはいろいろな提案をした》

 今回は特にしましたね。やっぱり、役を引きずるんでしょうけど、この作品に対する母親としての責任感なんです。子どもたちの心も含め、守ろうという気持ちが全てに対してありました。監督には厳しかったですね。ふざけたことしてもらったら困るって。何もしてないんですけどね。

 小林監督は内気な人だから、あまり言葉にするのが上手じゃなくて、監督の迷いみたいなものが私たち役者に伝わってきた時に、こんなに心細いことってないんですよ。だから監督がしっかりしてくれ、みたいなことをスケバンみたいに言ったことがありました。

 助監督として優秀で、「雪に願うこと」(06年)など前にも一緒に仕事したので言いやすかった。私も監督を育てたかったんです。小林監督は、大きな作品としては1作目。久しぶりに、助監督を重ねてきてデビューした監督なんです。そういう人って映画界で減っているので、余計に育ってほしい。そのせいか、他の監督たちがたくさん陣中見舞いに来てくれたんです。

 私、監督に対しても母親の気持ちになっちゃったんです。(原作者の)西原理恵子さんがそういう生きざまの人だから、おのずとそうなりますね。<<

監督には厳しく、ふざけたことしてもらったら困る、ってスケバンみたいに言った・・・って、ぜひ、その場にいて見てみたかった・・・

第3回目。
http://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110127ddm012070122000c.html

>>《神奈川県厚木市で三姉妹の末っ子として生まれた》

 母は陣痛はあったのですが、病院に行くのが遅れました。私は産道まで下がってそこに長い時間いたため、生まれた時に喉とかにいろいろなものが詰まり窒息死寸前。紫色がかった赤ちゃんでした。逆さにしてたたいたりしても産声を上げないので、お産婆さんが全部自分の口で吸引してくれたそうです。生まれた時点で瀕死(ひんし)の子供でした。

 小6の時に「わが生い立ちの記」という作文の課題があって、母親にインタビューして知りました。いいネタだと思いました。歌手デビュー後の10代後半に「夜のヒットスタジオ」という歌番組で、その時のお産婆さんと対面しました。この人がそうしてくれたんだ、と思いました。


 《一人で遊ぶのが好きな子供だった》

 おままごととか、女の子っぽい遊びが好きでした。人形のおなかが破れると手術とか、家に帰って誰もいないと今日はずっと目をつぶって過ごそうとか。長女は8歳上で私から見ると大人、次女は3歳上で付いて回ると面倒くさがられました。

 母は染物屋の娘で若い頃芸者をしていて、父と結婚しました。近所の盆踊り大会などでは、浴衣の着こなしも踊りもきまっていました。母は私にピアノとかバレエを習えばと言ってくれましたが習い事は好きじゃなかった。知らない人と関わるのがだめでした。小1の時、近所のピアノの先生の所で、先生と二人っきりになったら緊張して具合が悪くなりました。

 《「内気な人見知り」がアイドルになった》

 アイドルの小泉今日子は、私の理想像でもあったんです。活発な雰囲気といい、自由な発言といい、本当はこういう女の子になりたい。こんな女の子がいたら見ていて気持ちいいなっと考えていました。自分がなりたい女の子になろうとしたら、本当の自分と差がなくなっていきました。きっと、社会性とか人と関わって大人になっていくって、そういうことなんだと思います。でも、本当は今でもそういう部分があります。お休みの日とか家から一歩も出ないことのほうが多いです。<<

アイドルの小泉今日子キョンキョンの理想像だったのね・・・
小学生のころに、強烈に「こんな人になりたい」って思うと、その後の人生で10年、20年とそのイメージに近づいていくっていうのは、誰にでもありますよね・・・

第4回目。
http://mainichi.jp/select/opinion/kakeru/news/20110128ddm012070033000c.html

>> 《行儀作法や人への思いやりのことで、両親によく注意された》

 子供の時に父や母から「勉強しなさい」と言われたことはありません。ただ例えば、電車で座っている人の前に子連れが立つと席を譲られるから「ドアのそばで外を見ていて」とか、学校に転校生が来ると「あした迎えに行きなさい」、近所で骨折した友達がいたら「治るまでカバンを持ってやりなさい」とか言われました。男気のある両親です。また、内向的だと自分では思っていましたが、女の子やお姉ちゃんが男の子にいじめられていると、すごく腹が立ってけんかもしました。

 《近所のチビっ子たちの面倒をよく見ていた》

 小学校の高学年になると「今日子姉ちゃん、うちの子供たち見てて」と近隣のお母さんから頼まれ、小さい子の子守をしました。親以外で三つ子を見分けられるのは私だけ、と。小学校でも、遠くの席の子が落とした消しゴムを、行って拾ってあげるとか、おせっかいなんです。実は今もそう。映画の現場でもお弁当の手配などをする裏方さんの仕事が一番向いていると思います。

 小中学校の時には、作文や詩を書くのが大好きでした。音楽も、美術も好き。体育は嫌い。駆けっことかポートボールとか、競うのは熱くなれなくて苦手でした。

 《中3の時、「キョンキョンも書きなよ」と友達に言われ、アイドル誕生番組に応募した。応募するのがクラスではやっていた》

 テレビは魔法の箱でした。私たちの世代は山口百恵さんとか、ピンク・レディーキャンディーズとかスターに憧れていました。友達と歌ったり、振り付けを覚えたりとか、楽しかったです。

 オーディションは「テレビ局が見たい」と言う姉と一緒に行きました。本当に歌手になろうと思っていたわけではありませんでした。テレビ放映された審査では、客席の票だけで受かっちゃったんです。決戦大会まではボイストレーニングなどをして、きちんとした大人が仕事をしていて安心しました。決戦大会でレコード会社などから手が挙がった時は、流れに乗ってもいいかなと思いました。<<

4回分で、やっとオーディションまで来たので、この連載、おそらくまだまだ続くと思われます。

毎日新聞見るのがとても楽しみ〜♭

キョンキョンは、実は同級生なのね(同じ学校に通ったわけじゃないけど・・・)
あんまりおしゃべりじゃないくせに、ここぞっていう時には前に出て行ってタンカ切っちゃうところとか、男以上にサバサバしてるんで、なかなかついて来れる男がいないとか、かっこいいおばあちゃんを本気で目指してるところとか、自分と同じようなことを言うキョンキョンのことは、前から好きだったの・・・

もちろん、キョンキョンとVictoriaでは、月とスッポンですが・・・

早くスクリーンでサイバラを演じるキョンキョンを見てみたい・・・

Victoriaでした。