政治家の一生

こんにちは。Victoriaです。


関東大震災のあった大正12年に生まれ、
大東亜戦争という日本歴史上最も苦しい時代に生き、
人生前半の20年を食料増産と農業経営の改善に、
後半40年を市議会議員として市政の発展に努力してきた。


・・・という書き出しで始まる、
表紙が金文字で彩られ、重厚な箱に納められた
自叙伝を、ずっと以前にいただいたまま
読まずに本棚に飾っていた。

議員任期終了後、地方自治功労として旭日小綬章を受賞なさった方で、
その他にも、数え切れないくらいの表彰・受賞歴があり、
巻末の受賞関係の年譜が数ページに及ぶのに圧倒されて、
何となく読めずにいたのだけど、
調べ物をしていて、もしやこの方の自叙伝に出ているのでは・・・
と思い、手に取ったところ、ぐいぐい引き込まれていって、
あっというまに読了。

今年一番、感動したかも・・・

80歳を超えて、つい最近議員をお辞めになったばかり。
地元で開催された叙勲祝賀会には、
代々の市長や代議士など地元の名士と言われる人たちが駆けつけ、
最高の讃辞を贈られた。
連続10期当選で、議長も何度もお務めになった、
バリバリの保守派議員。

そういう方がお書きになった自叙伝なので、
ぶっちゃけ「自慢話」に終始しているのではないかと思い、
読む気が起こらなかったわけだけど、
それは単なる偏見に過ぎないことを思い知らされた。

40年近く議員をなさっていたので、
初当選は40代前半。
今でも、30代、40代の議員は「若手」と呼ばれるけれど、
当時もそれは同じで、
どこへ行っても「あの若い衆が・・・」と言われたらしい。

保守系の会派に所属なさっていたから、
なんでも前例踏襲し、議場外の根回しだけで議会運営してきたのかと思えば、
それがそうではなく、
時代の流れをいち早く読んで、
いつも半歩先を歩く先見性に満ちていた。

議員に当選なさる前から、
若くして数々の要職に就き、
輝かしい受賞歴をお持ちなのだけど、
ご自分から進んで役職を求めたことはなく、
すべて周りから推薦されたり、懇願されたりして
引き受けていらっしゃる。

人生の大半を地域のために費やすということは、
こういうことを言うのだと思った。

政治家というのは、
首長にしろ、国会議員にしろ、地方議員にしろ、
常に有権者の厳しい視線にさらされ、
たたかれることはあっても、感謝されることは滅多にない。
業界団体でのあいさつや、
政治家同士の集まりの席では、歯の浮くような讃辞が送られるのが常だけど、
一般庶民に親しみをこめて「ありがとう」と言われることはなかなかない職業だ。

選挙にお金がかかるということが全国津々浦々に知れ渡っているから、
政治家というだけで、
きっとお金に汚いに違いない、
何らかの賄賂をもらっているに違いないと
有権者はみんな思っている。

たしかに、視察と称して派手な海外旅行をしていた時期もあったし、
河村たかし市長のおかげで、
報酬以外に政務調査費などの名目でおいしい思いをしているという事実も暴露されたばかり。

だけど、そういうおいしい思いもしたかもしれないけれど、
一方でお金のためではなく、
純粋に地元のために尽くした政治家もいたのだということを
この本は教えてくれる。

おそらくこの本をお書きになった先生は、
ご自分の仕事を時給に換算したり、
この仕事をまとめれば年収アップするなんていう計算とは
無縁の人生を送って来たにちがいない。

何よりも、常に人々からの訴えや要請が先にあり、
それに答えていくことでキャリアが積み重なっていったという事実に
大変感銘を受けた。

農業と市政に関わって来られただけでなく、
消防団でも40年近く活躍なさっている。

今回の東日本大震災に際しても、
地元の消防団からたくさんの人たちが救援活動に行ったが、
もう少し若ければ私も行くことができたのに、と残念がっておられるにちがいない。

恵まれた人生を送るということは、
職歴を重ね役職が上がっていくことや、
収入がアップしていくこととイコールではなく、
多くの人に感謝され、頼りにされていくことなのだということを
改めて教えられた貴重な一冊であった。

今回は、自費出版なさった自叙伝をいただいて
偶然読む機会を与えていただいたのだけど、
これを教訓に、
今後も自叙伝をいただくことがあったら大切に読んでいきたい。

80歳を過ぎて、
まだまだお元気で農業にいそしんでおられるというお噂を耳にした。
近いうちに、お礼にうかがいたいと思い、本を閉じた。


Victoriaでした。