ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (32) オットー1世の帝国教会政策の意義

こんにちは。Victoriaです。

2012年3月25日、キャンパスプラザ京都で行われたライフネット生命保険の出口社長の講義、
今回は10世紀中頃のヨーロッパのお話。







955年、
オットー1世がマジャール人を討ち、
初代の神聖ローマ帝国皇帝になるための、
大きな一歩を踏み出す。







オットー1世は、
3つに分裂したフランク帝国の東フランク王国で、
断絶したカロリング朝のあと王位についたザクセン朝第2代の王。









なかなかのやり手で、
領地を自分の近親者で治めさせる政策をとり、
カール大帝の遺志を継ぐ者として教皇から戴冠されることをもくろんでいたが、
身内の反乱などで苦戦していたところ、








ハンガリーからマジャール人が攻め込んでくる。








しぶといマジャール人に苦戦したが、
955年、
レヒフェルトの戦いでマジャール人に勝利、






キリスト教国を異教徒マジャールの禍から救った聖なる戦士」







としてたたえられ、
962年、
晴れて、初代神聖ローマ帝国皇帝になる。







血族での統治政策の失敗にこりたオットー1世は、
聖職者による統治政策に切り替え、







帝国教会政策を採用。








帝国教会政策とは、
皇帝が聖職者の任免権を持つことを意味し、
いわば、
教会の司教を知事に任命するようなもの。







これが功を奏し、
ドイツは強大になっていく。







一方、敗れたマジャール人は、
この時点ではキリスト教徒ではなかったが、
生き残りのため、キリスト教化政策をすすめ、
ハンガリー平原に国家を建設する。





・・・


さて、
講義では、
神聖ローマ帝国が採用した帝国教会政策について、
大変興味深いお話があった。







出口先生によると、
世界中の王様というのは、
昔から、
ロイヤリティが高く、
役に立つ家来の作り方に苦慮してきたが、
その方法は基本的に次の二つしかない。





  1. 貴族制
  2. 官僚制




貴族制は、世襲制で子孫も貴族になるから、ロイヤリティは高く、王様は安心できる。
しかし、子どもがアホだったら役に立たないというのが欠点。
だから、結婚は大事っていうお話ね・・・






官僚制は、有能な人を選抜するのだからみんな賢い。
欠点は世襲できないからロイヤリティがないことで、
極端な場合、王様より優秀だったら、簒奪(さんだつ)の恐れさえある。







古来、
世界中の王様たちがとってきた家来の作り方(後継者の選び方)は、
この二つしかなく、
状況に応じてそのバリエーションをとってやってきた。







さて、
オットー1世がなぜ司教を地方領主として使うことを思いついたかというと、






貴族は、宮廷に置いておけば、終生、王様に感謝して言うことを聞くが、
遠い地方に追いやれば、
当時は飛行機も新幹線もないので、
子孫は王様の顔すら忘れてしまい、
言うことを聞かなくなる。







まさに、
去る者日々に疎し。







そこで、
誰を知事として地方に送り込むかということになった時、
司教を地方領主として使うことを思いついた。









司教は建前上独身なので、
世襲はできないから、
その地方に根付いて豪族化する心配もないというわけである。








神聖ローマ帝国で、
皇帝が選挙で選ばれたのは、
13世紀後半以降のことで、








オットー1世の時代には、
世襲されており、
1世、2世、3世とつながっていく。










なお、
教皇の思惑で復活した西ローマ帝国を、
神聖ローマ帝国と呼ぶようになったのは、
13世紀以降のことで、
この時代はまだ神聖ローマ帝国と呼ばれていたわけではない。







・・・ということで、本日の結論 :






オットー1世がとった帝国教会政策は、
貴族制が失敗したために生まれた苦肉の策であったが、
当時、実質的な力はゼロだった教皇から司教の任命権を剥奪し、
地方統治のために、教会組織を乗っ取ったと言う意味ではウルトラCだった。





Victoriaでした。

生命保険


・・・

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