ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (17) カノッサの屈辱

こんにちは。Victoriaです。

2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は、「十字軍結成前夜 カノッサの屈辱」。




1077年、歴史に残る大事件が勃発、








カノッサの屈辱







山川出版社の世界史用語集によると、

世界史B用語集 改訂版

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カノッサの屈辱 : 1077年、教皇グレゴリウス7世に破門された皇帝ハインリヒ4世が、北イタリアのカノッサ城で雪中に許しを請い、ようやく許された事件。









雪の中で裸足で食事もなしに3日間立っていたという話もあるくらいで、
皇帝ともあろう人が、
そこまでして許しを請わなければならないなんて、
よっぽど宗教的に許されないことをしたんだろうか、なんて、
いろいろ疑問はあったんだけど、








ようやく、
その疑問が解けた。









これは皇帝が教皇に宗教上の罪に対して許しを請うた事件ではなく、
教皇 VS 皇帝 の長い長い権力闘争の途中経過にすぎず、
この件ですべての問題に決着がついたわけではない。








では、なぜ「カノッサの屈辱」という仰々しい名前がついて後世に語り伝えられているかというと、
皇帝ですらひざまづいたんだぜ、というエピソードを広めることは、
ローマ教皇側からすれば、いかに教皇の力が偉大か、ということを示す最良の宣伝になったからである。










事件の裏に陰謀あり。










どんな事件も、
陰謀事件として見ると、
とたんにおもしろくなってくるから不思議〜♪









・・・

まずは、この事件の二人の登場人物について見てみたい。







グレゴリウス7世は、
生年がはっきりしないが1020年頃とされるので、
カノッサ事件が起きた1077年は57歳。
この時代は教皇選出において、
東ローマ帝国の君主らがどんどん横やりを入れてきて、
自分たちの意に沿わない教皇だと対立教皇を立てるなどやりたい放題だったので、
数々の修羅場をくぐりぬけて教皇職を射止めたグレゴリウス7世が権謀術数にたけた食えないおっさんだったことは想像に難くない。










一方のハインリヒ4世は、
1050年生まれ、
カノッサ事件当時、弱冠27歳。








したがって、
まず最初に、
カノッサ事件の背景として、








権謀術数にたけた50代の教皇 VS 父親が急死してしまったためわずか6歳で皇帝の位についた世間知らずの20代の若造









という構図を頭に入れておかなければならない。









これはどう見ても皇帝不利・・・









グレゴリウス7世は、
グレゴリウス改革として知られる数々の教会改革を打ち出したことでも知られるが、
教皇として彼が取り組んだ最大のプロジェクトは、








叙任権闘争








彼は、3身分思想といって、







祈る人(=教皇)、戦う人(=皇帝)、耕す人(=一般民衆)を分けよ









と提唱。
この考えによれば、
教皇と皇帝は、それぞれ別のカテゴリーに属し、
おのおののカテゴリーのトップに君臨しているので、
身分は対等である。









こういう思想が出てきたというのは、
そもそも、
気候温暖化により、
農業の収量が増え、
世の中全体が豊かになって、
働かなくても食べていける人たちが、
一定の割合で社会に出現したからである。
耕さず、
戦争にも出かけない人がでかい口をたたけるようになるには、
余剰食糧の備蓄が欠かせないわけだ。










叙任権闘争というのは、
何もグレゴリウス7世の時代から始まったわけではなく、
それ以前から教会の悲願であった。









ローマ帝国以来、
世俗権力とズブズブの関係を続けてきた教会は、
ここへ来て初心に返り、
教会としての自主性を取り戻そうと考えたが、










一方の皇帝側としては、
聖職者の叙任権というのは、
教会財産の管理権と結びついていたので、
みすみす渡すわけにはいかない。









そんなこんなで、
叙任権闘争が膠着状況に陥っていた時に起こったのがカノッサの屈辱











これは、
ちまたで言われているように、
皇帝が雪の中、はだしのまま3日間お城の外に立ちんぼで教皇が許してくれるよのひたすら待った、
というような、
美しい話では全然なく、










細かい点ははしょるけど、
教皇の意向を無視して叙任権を行使し、
自分の息のかかった手下どもを司教にバンバン任命していたハインリヒ4世に業を煮やしたグレゴリウス7世が、
怒って皇帝を破門すると、
もともとハインリヒ4世の対抗勢力だったザクセン公などが教皇側につき、
もしも教皇に謝罪して破門を解いてもらわないんだったら皇帝から降りてもらう、という最後通牒をつきつけたので、










泡食ったハインリヒ4世、
自分の身分を守るためには謝罪しかないと腹をくくり、
反対勢力の諸侯達との会議に向かう途中の教皇カノッサ城に突撃訪問したわけである。










なぜ説得に3日もかかったかというと、
うっかり門を開けて、
自分が拉致されてはたまらないので、
グレゴリウス7世が用心して城の門を開けなかったから。









それはそうだろう、
グレゴリウス7世はしょせん修道士にすぎず、
対する皇帝は武器を持っているわけだから。









結局、
教皇は皇帝を許し、
破門を解くわけだが、
皇帝が苦境を乗り切ったらまた手のひらを返すように裏切ることは目に見えていたのにみすみす許したのは、
目の前で許しを請う者を見殺しにするのは、
聖職者としての良心に反するからとてもできなかったのだろう。









案の定、
皇帝の座からひきずりおろされる危機を脱出したハインリヒ4世は、
ただちに教皇に対する敵対行動を開始、
カノッサの屈辱から7年後の1084年、
ローマを包囲して、クレメンス3世を擁立、
教皇の座を追われたグレゴリウス7世は、
1085年、逃亡先で死亡した。








カノッサの屈辱の借りは返したハインリヒ4世だが、
もともと諸侯の反乱が続いていたのに加えて、、
ついには長男、そして次男にまで反旗を翻されるはめになり、
1105年、
皇帝の座を追われ、
翌年、55歳で死亡した。








皇帝として、
あまりいい人生ではなかったハインリヒ4世だが、
幼少期の体験が彼のあまりいいとはいえないパーソナリティー形成に影響している。









わずか6歳で父親が急死、
急きょ後継者として皇帝位についたが、
この時は母親が摂政だったのでよかった。









しかし、12歳の時、
政争に巻き込まれ、
ハインリヒ4世は誘拐されてしまう。








その後、
様々な貴族や司教によって保護されるが、
残念ながら、
中学生にあたる貴重な3年間、
彼の教育はまったく放置されたのである。







・・・ということで、本日の結論 :








カノッサの屈辱の勝負は、
グレゴリウス7世の勝ち。








相手を許すことで人間的に大きなところを見せたし、
教会を世俗勢力から切り離したいという筋を通したから。








自分の子どもにまで見放されるなんて、
ハインリヒ4世はよっぽど性格が悪かったにちがいない。








まともな教育が受けられなかったのは彼のせいではなく、
運が悪かっただけなんだけど、
やっぱり人間性って大事よね・・・というお話。







Victoriaでした。



・・・

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