永遠の愛を求めて (7) 愛とは相手を放っておけない気持ち

こんにちは。Victoriaです。





子どものころ、
愛する人が、
病気や事故や戦争などで若くして死んでしまって、
一生、その人の思い出を胸に、
独身を貫くという女の人の物語が好きで、









私もそんな人生が送ってみたいなあと思っていたことがあって、








夢見る乙女だったなあと思うんだけれども、








でも、
実際そういう話はゴロゴロしてて、









一番びっくりしたのは、
20代のころ、
過労で倒れて入院していた時、
同室になったおばあさんがたしか80代で、
天涯孤独の方だったんだけど、









たぶん、
帰る家とかなかったんじゃないかと思うのね、









病室の、
ベッドの周り半径1メートル以内がそのおばあさんの世界のすべてで、








何の病気で入院していたのかは聞かなかったんだけど、
歳をとってるという以外、
どこも悪そうには見えず、
事実、起きてる時間はすごく精力的に手を動かしていて、









絵を描いたり、
手芸をしたり、
本を読んだりしていて、
好きなだけ時間をかけて作った作品が、
いっぱい飾られていた。










それで、
何かのきっかけで、
家族の話になって、










たぶん、
私が、
状況をよくわかっていなくて、
誰かお見舞いに来ないんですか?的なぶしつけな質問をしてしまったんだと思うんだけど、










そしたら、
そのおばあさん、










「主人はもう亡くなりましたから」。










まるで、
昨日亡くなったかのような口ぶりだったから、
そのつもりで話をしてたら何かかみ合わないので、
いつ亡くなったんですか?って聞いたら、











「戦死したのよ」。











戦死って、
太平洋戦争ですか???











戦時中によくある話で、
赤紙が来て出征が決まったから、
急きょ祝言をあげて、
翌日夫は戦地に赴き、
3ヶ月後に戦死の知らせがきたっていうパターン。









それで、
夫と暮らしたことはないんだけれども、
実家は弟夫婦が暮らしてるから帰るわけにもいかず、










よくわかんないんだけど、
再婚すると遺族年金がもらえないの?かなんか、
そういう関係で、
再婚することは早々とあきらめて、











他人ばかりの夫の家で舅、姑に仕えて暮らし、
子どもは当然いないから、
みんな順番に亡くなってしまって、
最後は自分一人が残ってしまったそうで、










このおばあさんの話は、
時代のタイミングもあり、
すごく極端なパターンではあるけれど、











若い時のたった一つの縁を最後に、
二度と恋愛しない人ってわりとたくさんいて、











それで、
そういう人たちが不幸かというと、
そうでもない。









実際、
このおばあさんも、
病室の中ではダントツに人気があって、
だから私も、
こんなにいろいろな話が聞けたわけなんだけれども、










愛って不思議で、
恋愛からスタートする愛って、
ほぼ「奪う愛」でしょ?









相手の愛が欲しくて、
それで男も女もぐちゃぐちゃ悩んだり争ったりするわけだけど、








それが、
ある程度落ち着いて、
例えば結婚50周年とかになれば、
今さら奪うも何もなくて、
少々のことでは波風たたない安定感をかもしだすわけだけど、











愛のゴールが、
少々のことでは揺らぎはしない安定性にあるのだとしたら、











最初からその安定性を自分の外に求めず、
自分自身の内面を磨いて、
徳のある人格者を目指し、
悟りを開くことで心の平安を得れば、
余計な苦労しなくてもいいわけじゃない?







このおばあさんも、
そういう意味で、
すごく人格者に見えた・・・










なんでみんな最初からそうしないんだろうね・・・???










・・・



たぶん、
それでは遺伝子を残すことにつながらず、
種の保存のためにならないからってことなんだろうけど、












それで、
過去の美しい愛の思い出にすがって生きるか、
たとえそんなに好きじゃない相手であっても、誰かといっしょに生きていく道を選び、
実際はぶっちゃけ憎しみ合いながら暮らしていても、
いつかそのうち1ミリでもいいから愛が芽生える可能性にかけるかっていう究極の選択を迫られたら、










性欲さえなければ、
一生に好きな人は一人っていう生き方が苦労なく選べるんだろうけど、
幸か不幸か、
私はそういう風に遺伝子がプログラミングされていないので、










てゆーか、
たとえセックスヌキだとしても、
自分は、きっと誰か人生をともにできる人をさがし続けるんだろうなと思う。










なぜなんだろ?
何がほしいんだろ?って、
つきつめて考えてみると、









話し相手がほしい










ってことなんじゃないかと思い当たって、










ホントのところ、
自分の言いたいことがどれくらい伝わっているのか、
そもそも自分が言いたいことの中に、
何かどうしても言わずにはおれないような価値ある内容があるのかっていったら、











ほとんどは伝わろうが伝わるまいがどーでもいい戯言にすぎない











ことは100%事実なんだけど、









それでも、
しゃべり続けることに意味があって、










なぜかと言うと、
どんなに悲観的な人間であっても、
目の前にいる人間が自分にむかってしゃべりかけている間は、
死のうとは思わないから。










・・・ということで、本日の結論 :








愛とは目の前にいる人間をほっとけないという気持ちで、
そういう気持ちを人間は「しゃべりかける」という行為で表現するものだから、
この世に大事な人がいたら、
いやがられても話かけていくのが愛情表現。










ということで、
今日もおしゃべりしながら、
日が暮れていく・・・








Victoriaでした。

・・・

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