ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (52) 日元貿易の目玉商品=銅銭

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は、「日元貿易の目玉商品=銅銭」







苦手な経済のお話が続き、
頭が痛いVictoria・・・
早くこの項、終わりにしたいと思いつつ、
根性でがんばっているところです。










クビライは、
優秀なムスリム経済官僚に、
経済政策全般をまかせていたらしいんだけど、









わかるわ・・・










数字に強いかどうかって、
ゼッタイ、
生まれつき、決まってるって思うもん・・・










・・・

さて、
前回、






銀→塩引→塩








というお金の流れを見たんだけど、








塩引でどれくらいの銀、塩がやりとりされていたの?










というのを、
まだ調べてなかったので、
苦労してさがしてきました。









まず、
「塩引」一枚で購入できる塩なんですが、
1トンです(これは、出口社長が講義でおっしゃってます)。









次に、
「塩引」一枚購入するのに必要な銀なんですが、
これは、
講義でおっしゃっていたのかもしれませんが、
私のノートになかったので、
あちこちあたったところ、









塩引一枚=銀2.5キロ(銀錠1個=2キロよりもやや多い)










ということが判明。









つまり、
こういうことです。









銀2.5キロ=塩引一枚=塩1トン











以上、
杉山正明「クビライの挑戦」を参照しました。








・・・

さて、
ここまでの講義で、
高額取引についてはわかったのですが、









小額取引はどうしていたんだろう?









答 : 紙幣











1260年、
クーデタ政権を樹立した年、
クビライは、









中統元宝交鈔(ちゅうとうげんぽうこうしょう)










という、
世界初の兌換紙幣を発行、









額面は、
銅銭の単位を元にし、







十文=銅銭10枚









が最少で、
最大2貫まで10種類があった。










モンゴル帝国は銅銭を発行しなかったが、
宋の時代から使われていた銅銭の使用も認めている。









中国で広く流通している銅銭の使用を禁止して、
混乱が起きては元も子もないというのがその理由、
ただし、
納税は銀と紙幣になったので、
当然、
銅銭はダブつく。










話それるんだけど、
南宋が発行していた銅銭は、
額面一文。










これは、
日本でいえば、
一円玉しか発行しないようなもので、











大量に銅銭を運ばなければ、
まともな取引ができないので、
不便なことこの上ない。










一文の銅銭1000枚をひもで束ねたものを、
一貫といって、
文字通り、
ひとつらぬきにしたものを指す。










中国語って、
奥が深いね・・・











それで、
歴代中華王朝が、
経済を軽んじる政策をとってきたという話はすでにしたけれど、












一文の銅銭だけを発行して、
平然としているという態度が、
そもそも、
現実の社会生活の利便性を全く無視しており、
経済とは紙の上のお話であるという、
中央政府の官僚の認識を如実に示している。











うん、
これじゃ、
モンゴルに勝てるわけないし・・・










・・・


それで、
やっと本題に戻るんだけど、








南宋時代は、
常に銅が不足している状態で、
銅禁=銅銭輸出禁止令が出たりなんかしていたんだけど、










政権が代わり、
不要になったわけではないけれど、
大事な取引には銅銭がいらなくなって、
江南社会で一気に銅銭がダブついた。












余った銅銭、
外国人に売ってもうけようぜ!












さすが、
中国の方たちは、
転んでもただでは起きないんだなと思うんだけれども、










銅銭を、
ただの記念コインにしてしまうのではなく、
商品として輸出することにしたのである。










どこの国が買ったか?











答 : 日本










う〜ん、
そうだったんですかという感じだ。










なんか、
日本が思いっきりなめられてるような気がしなくもないが、










元寇のイメージが強いからか、
日元関係は冷えていたと思いがちだけど、










近現代をのぞくと、
日中交流がもっともさかんだったのはモンゴル時代。










実際、
二度の蒙古襲来のさなかも、
日本の貿易船団は、
さかんに江南をおとずれていた。









江南から日本へむけた最大の輸出品は、
銅銭。










もちろん、
元銭というのはないので、
買ってくるのは宋銭、










なので、
日元貿易よりも、
日宋貿易のほうが盛んだったと思われがちだけど、










国家の禁令があって、
銅銭を国外に持ち出せなかった宋の時代に、
大量の宋銭が日本にやってきたわけがない。










日本最古のコインとして、
和同開珎が有名だが、
実はこれは全然流通していなかった。










それが、
ここへ来て、
大量の銅銭が出回るようになり、










時代は鎌倉時代なんだけど、









日本に過剰なマネーサプライが突如出現、










悪党がのしあがり、
鎌倉幕府がゆらいでいく。










つまり、
頼朝との証文なんかどうでもいいさ、
ゼニ持ってるものが強いんだぞ、というわけである。












楠木正成なんかは、
キャッシュを使って、
商いをバシバシやっていたらしい。












ということで、
クビライ政権が生まれ、
宋銭がダブついて日本に大量に買われてきて、
鎌倉幕府が倒れたという、
まさに、グローバリゼーションここにあり!
という壮大なお話。













Victoriaでした。


・・・

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