ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (58) クビライの南宋作戦の方針

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は、「クビライの南宋作戦の方針」










さて、
1274年というのは、
日本にとって大事件の起こった年、










蒙古襲来。












元寇とも言われるが、
これは、
幕末の国学者の造語であって、
江戸時代まで「元寇」という言葉はなかった、









従って、
ここでは、
文永の役」という呼び名でいきたいと思います。












・・・


まず、
ここまでの経緯をおさらい。









1260年 クビライ、クーデタで政権奪取
1266年 幻のクリルタイ
1267年 大都(=北京)建設開始
1271年 モンゴル帝国、国号を大元ウルスに。
1274年 文永の役
1276年 南宋接収









注目していただきたいのは、
1274年、文永の役の時点では、
まだ南宋を接収していなかったということで、








ここからわかることは、







文永の役は、
日本人が思っているように、







モンゴルが日本を取りに大挙して攻めてきた!







というよりも、











モンゴルが南宋へ進攻した時に「ついでに」寄った、くらいのもの・・・???












う〜ん、
どうなんでしょう???











ということで、
まずは、
クビライ政権の南宋作戦からみてみたいと思います。











・・・

クビライが、
南宋進攻を始めたのは、
1251年。











第4代皇帝に就任したばかりの、
兄モンケの命令だったが、












長期戦の構えを見せ、
一向に攻め入ろうとしないクビライにしびれを切らした兄モンケが、
自ら兵を率いて南下し、











あっけなく死んでしまったのが、
1259年。












死んでしまった兄の代わりに、
司令官として南下したクビライは、
「鄂州(がくしゅう)の役」で南宋に敗れ、











しかし、
この時のクビライにとっては、












南宋 < 皇帝の位













だったので、
兵を「大返し」して北上、
クーデタ政権樹立となったわけである。











ということで、
第5代皇帝となったクビライ、
この時点ではまだ南宋は手に入れていない。










・・・




さて、
めでたく皇帝になって、
再度、南宋進攻の計画に着手したクビライは、











戦闘で相手を殺傷することに価値があるのではなく、
どれだけ無傷に相手を接収するかに価値がある。













をモットーに、
南宋作戦を立て直す。












ここで、
南宋作戦は、
単なる戦闘ではなく、











巨大な国家建設プロジェクトの一環












となった。











だから、
大都建設と南宋作戦開始が、
ほぼ同時にスタートしたわけである。











クビライの用意周到さ、
おそるべし!
という感じで、












スケールは違うけど、











中国へ旅行に行きたいな〜と思ったら、
普通、
ツアーに申し込むのが手っ取り早いと思うけど、












まずは中国語の勉強からだっていうんで、
中国語の先生さがすところから始めて、










いい先生がいなかったから、
自分で先生さがしてきて、
ついでに、
学校まで作っちゃった・・・みたいな遠回り感があるような・・・










・・・


さて、
初めから、
南宋とは海路でつないで、
大都を物流のハブにするつもりだったクビライは、











かれこれ30年近く攻略し続けて、
失敗続きだった南宋作戦を、









今度こそ、
必ず成功させるつもりで、
今までとはまったく違う手段に出る。












騎馬隊主体の作戦が通用しない南宋は、
モンゴルにとっては最も苦手とする相手だったのだが、










モンゴル騎兵を使わない









ことにし、












代わりに、
漢人部隊を南宋作戦の全面に押し出すことにした。










要するに、
現地調達である。










表向きは、
南宋の風土には漢人が合っているからということだったが、












実は、
これには裏の意味があり、









  • 何かと権力争いにしゃしゃり出てくる漢人の元軍閥たちを南にはりつけてしまうことで華北は安定。
  • モンゴル勢力を南宋作戦に参加させないことによって、南宋接収に成功したあかつきに、ごほうびとしてモンゴルの大将連中に領土を分配する必要なし。









つまり、









南宋=クビライ個人の所有物になる!!!











う〜ん、
すごすぎる・・・










一人の人間が、
ここまで賢くなれるって、
人間の能力ってはかりしれない・・・









Victoriaでした。




この項は、
杉山正明モンゴル帝国の興亡 下」を参照しております。

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)

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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記






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