言葉の暴力 (4) 子どもは元気なのが当たり前
こんにちは。Victoriaです。
さて、
前回、
百人一首事件で先生にいじめられ、
学校嫌いになった男子の話をしたところ→言葉の暴力 (3) - Victoriaの日記
早速メッセージいただきました。
ナツメさま、
ありがとうございます。
>> ――感情が死んじゃう…。――
「周囲からどんな刺激を受けても、喜怒哀楽が生じなくなるとき」って、人生の中で、たま〜に訪れることがありますね。
私の場合、最初のカレと別れたとき――正確に言うと、最初のカレのご家族の人から塩を撒かれて玄関から叩き出されたとき、半年から一年ぐらい、そういう症状に陥りました。
それまで、私はその彼一筋、一途に生きていたので、勉強するのも(当時は学生だったので)、料理の腕が上がるよう頑張るのも、可愛くお洒落するのも、すべて、何もかもカレのためでした。
若かったこともありますが、思い起こすと、自分で自分が可哀想になるくらい、いろいろ背伸びして頑張っていました。
実際、当時のカレとは、ほぼ相思相愛だったので、そのカレの家人の人から酷い扱いを受けたのは、本当に、本当にショックでした。
――思うに、「自分でこれ以上はとても無理」ってところまで頑張って、その挙句、期待したほど評価されないばかりか、逆に虐待(?)みたいな酷い目に遭わされると、人間、どこか壊れるのではないでしょうか。
ですから、Victoria 様のこの記事の学生君の気持ちは、私には、少しですが、わかるような気がするのです。
ちなみに、私の場合、無反応で無表情になってしまった私に対して、学校の部活の友人たちが、普段と変わらず接してくれて、諦めずに誘ったり話しかけたりしてくれたので、自分も少しずつ立ち直れたのだったと思います。
「百人一首」の暗記などという、つまらないタスク?イベント?のせいで、えらい目に遭わされたという、くだんの学生君も、良い友人に恵まれるよう、お祈り申し上げます。
若人なら(若人でなくても)、鮮度を保つというか、ぴちぴちして、獲れたての魚みたいに活き良く生きることは、大事ですよね。<<
ホントにね、
感情が壊れるほどのショックって、
全くの赤の他人じゃなく、
すごく近い関係で、
絶対的な信頼をおいていた人から受けたりするもので、
自分でも、
どう対応していいかわからない、
パニック状態になってしまって、
悪のループにはまりこんでしまうものなんじゃないかと思っていて、
だから、
第三者が、
そんなの気にしなければいいのに、とか、
逃げ出せばよかったのに、
と言うのは簡単なんだけど、
当事者にとっては、
そんな簡単なことではなく、
だいたい、
逃げ出すって、
エネルギーいるから、
弱ってる時に、
そんなこと思いもよらないわけで、
ですから、
弱ってる人を見かけたら、
やさしく声をかけてあげてくださいね・・・
・・・
とにかく、
いじめやひきこもり、
ウツになってる子どもを見たら、
何とかしてあげるのが、
やさしさかな〜って思います。
だって、
子どもは元気なのが当たり前だから。
Victoriaでした。