ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (72) 神聖ローマ皇帝コンラート4世の死

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「神聖ローマ皇帝コンラート4世の死」






さて、
ようやく怒濤のモンゴル帝国史が一段落したので、
話をヨーロッパへ戻して・・・










あまりにも長くモンゴルに居続けたため、
13世紀のヨーロッパがどうなっていたのか、
一切、覚えていない・・・









試験範囲外のこと聞かれても、
全く答えられない高校生と同じ、
いやはや、
人間の記憶というものは・・・











ということで、
ここで、
少しおさらい。











13世紀前半のヨーロッパの状態を、
一言でまとめると、










ローマ皇帝フェデリーコ2世 VS ローマ教皇












うん、
そうだった・・・









13世紀前半、
ヨーロッパは、
こりずに十字軍を派遣したりなんかしてますが、
最大のイベントは、










スーパー皇帝フェデリーコの出現に、
ローマ教皇庁が手を焼いていた。











このあたりのまとめをしていた時は、
フェデリーコはすごいねって心底驚嘆していたのに、
クビライを知った今では、








フェデリーコ、
器がちっちゃいぞ、
ちゃっちゃとヨーロッパ統一せんかい!!!










とか、
思ってしまう自分がいて、










誰をいい男と思うかというのは、
相対性理論ですね・・・










ちなみに、
前回の記事はフェデリーコの死で終わってます→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (20) フェデリーコ2世の死と銀行の始まり - Victoriaの日記












・・・


さて、
出口社長のレジュメをお持ちの方は、
シチリアの晩鐘 その1」をご覧いただきたいのですが、









1254年、
コンラート4世 ナポリ急死









ここから、
レジュメは始まってます。










Who is コンラート4世?










答 : フェデリーコ2世の息子。









コンラート4世は、
1228年生まれ−1254年死去、









26歳で死んじゃったんですか?










う〜ん、
何があったんだろうか???









1250年に、
父フェデリーコ2世が亡くなって、
後を引き継いでいたのだけれど、








在位4年で亡くなってます。









コンラート4世には、
兄がいたのだけれど、
父に刃向かうというアホなことをして、
最後は自殺してしまって→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (16) ローマ教皇庁がフェデリーコ2世と対立した理由 - Victoriaの日記
彼に順番が回ってきたんだけど、










あっという間に死んでしまって、









26歳でしょ?









息子がいたけど、
当然まだ赤ちゃんで、









それで、
フェデリーコ2世というのは、
できる男だったから、









奥さん4人、
愛人?さあ、何人いたんだか???








愛人の中では、
トップに位置するビアンカランチアという女性との間に、
マンフレーディという息子がいて、









ちなみに、
フェデリーコは、
自分の結婚式(二番目の奥さんと・・・ちなみに、この2番目の奥さん=ヨランドっていうのが、コンラート4世の母親ね・・・)で、
ビアンカと出会ったらしく、










フェデリーコと、
当時13歳(!)のヨランドは1225年に結婚してるので、
その時点でビアンカは25歳、












13歳の小娘が25歳の熟女に負けたって?











うん、
当然でしょう・・・











それで、
コンラート4世は1228年4月25日に生まれてるんだけど、
同じ日に母親ヨランドは死んでいるので、
おそらく出産がうまくいかなかったんだと思われます。










子どもを産むのは命がけです・・・









それで、
全然話が進まなくて申し訳ないんだけど、
人間関係のもつれを解きほぐすのに、
年齢というのは案外重要なものですから、










1232年生まれのマンフレーディは、
その後のローマの歴史の鍵を握る重要な人物で、









最初にみた通り、
コンラート4世が死んで、
後を継いだ息子のコッラディーノ(=コンラーディン)は、
名前からして幼い感じがするんだけれども、








コッラディーノって「ちっちゃなコンラートちゃん」みたいな意味でしょ?










わずか2歳の赤ちゃんが、
何もできるわけがなく、










形式的にシチリア王を継いだけれど、
マンフレディが摂政として実質支配することとなる。









このあたり、
王室の歴史を見ていると、
先代が亡くなった時、
自分が何歳だったかというタイミングが大事だな〜とつくづく思う。








若すぎて、
まだわけがわからない状態だと、
ほんのちょっとのスキをついて、
王位乗っ取られたりしちゃうからね・・・









このコッラディーノちゃんは、
かわいそうな運命をたどり、
わずか16歳の1258年、
マンフレーディが戦死した後に勃発したタリアコンツォの戦いで破れ、
広場で斬首刑にされた。









これにより、
ホーエンシュタウフェン朝は滅び、
神聖ローマ皇帝が存在しない、
大空位時代へ突入していく。









Victoriaでした。



・・・


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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記
   




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