ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (80) ヴィスコンティ家、メディチ家、ハプスブルグ家の台頭

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「ヴィスコンティ家、メディチ家、ハプスブルグ家の台頭」








1277年、
オットーネ大司教がミラノのシニョーレに就任。





とか言われても、
一体何のことやらさっぱり・・・







シニョーレって何?








シニョーレというのは、
イタリア語で「領主」の意味で、








12世紀以降、
イタリアの都市国家は共和制をしいたが、
戦争勃発の際には、
臨時に一人に主権をまかせることがあり、
やがてそれが終身化→世襲化したとのこと、










北イタリアのミラノでは、
いちはやくシニョーレが登場、
寡頭支配が始まることとなり、
のちのルネサンスにつながっていったということで、










フィレンツェではメディチ家が登場、










イタリアは、
モンゴル帝国とも盛んに交易していたから、
富を相当ため込んでいたはず、











都市にお金が集まればお金持ちの貴族が登場するのは自然な流れ・・・










・・・

1278年、
すでにドイツ王に即位していたルドルフ一世は→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (76) 大空位時代 - Victoriaの日記
マルヒフェルトの戦いに勝って、
オーストリアを確保、










ハプスブルグ家台頭のきっかけとなる。











ルドルフ1世が皇帝に選ばれたのは、
強かったからではなく、












スイスの片田舎の弱小貴族だから、
皇帝まかせておいても、
何もできないだろうから安心、安心♪











という思惑のもと、
いわば、
弱さが買われて抜てきされたわけだけど、











世間の期待を裏切り、
徐々に頭角を現してきて、










マルヒフェルトの戦いというのは、
ルドルフ1世 VS オタカル2世
の戦いで、










オタカル2世というのは、
ボヘミア王だったんだけど、
神聖ローマ帝国の皇帝職に対する野心を、
隠そうともしない、
イケイケな王様だったのだが、











そんな、
オタカル2世の思うつぼにはさせまいと、
諸侯がはかってわざとルドルフ1世を皇帝にすえたという経緯があり、










ルドルフ1世の即位から5年たって、
弱いはずのルドルフ1世が、
意外にしたたかで、








オタカル2世の領土没収を命じたりなんかしたものだから、
怒り爆発、











戦争となった。











経緯を見ると、
ルドルフ1世のほうが圧倒的に根回しがうまいというか、
政治力の勝利って感じで、












大敗を喫したオタカル2世は、
自分自身も戦死、









終わってみれば、
ルドルフ1世の大勝で、










広大な土地を手に入れたハプスブルグ家は、

オーストリアに本拠地を移し、
以後、発展していく。









う〜ん、
知ってる名前が出てくるようになって、
いよいよ歴史がおもしろくなってきた・・・









この後、
イタリアは?
ドイツは?
フランスは?
どうなっていくのでしょうか・・・???











Victoriaでした。


・・・

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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記
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