ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (82) プリンス・オブ・ウェールズの始まり

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「プリンス・オブ・ウェールズの始まり」





1284年、
イングランドエドワード1世がウェールズを征服、







プリンス・オブ・ウェールズという称号が、
初めて使われる。











エドワード1世は、
無能と陰口をたたかれながら、
56年もの長い間王位にあった、
ヘンリー3世の息子→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (73) イギリス議会の起源 - Victoriaの日記
母親は、
あの、
プロヴァンス4姉妹のエリナー→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (74) マンフレーディ VS シャルル VS ローマ教皇 - Victoriaの日記









1272年、
第7回十字軍で遠征中に、
父ヘンリー3世が死去、









帰国して王位に就くと、
次々と新政策を打ち出し、
国内を安定させたデキる男エドワード1世は、









生涯のほとんどを、
戦地で過ごしている。










というのは、
フランス王は攻めてくるし、
ウェールズともスコットランドとももめて、









三方ふさがりだったからだ。









戦争は高くつくから、
戦費調達のためにイタリアの銀行から莫大な借金をし、










借りた金は返すのが人の道。











なので、
当然、
王様の特権として、











人民に重税を課す












という手を使ったわけだけど、












上からムリムリに押しつけたら、
反乱が起きるから(ということは父の治世で経験済み)、











模範議会











を招集、











みなさま、
これこれしかじかで、
これだけのお金がいりますので、
よろしゅうたのんます・・・












ということで、
税金を集める側である王が説明責任を果たし、
それにゴーサインを出す場として、
議会が機能し始めたわけだ。











エドワード1世、
なかなかの経営手腕の持ち主で、










やはり、
プロヴァンス4姉妹のお母様の教育の成果でしょうか・・・???









・・・

それで、
プリンス・オブ・ウェールズなんだけど、









ウェールズが言うこときかないものだから、
エドワード1世は、
王様を討ち死にさせ、
その息子を処刑している、









首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑で・・・










なんなんですか???
そこまで残酷にする必要がどこに・・・???











う〜ん、
やっぱり、
イギリス王室の方たちの、
この残酷さというのは、
ナゾです・・・










めった斬りにして血を流さないと、
生き返るとでも思っているのでしょうか・・・???











・・・


それで、
ウェールズを手中にしたエドワード1世、










ウエールズというのは、
ケルト人の王国なので、
れっきとした異民族、










いくら戦争に勝ったからといって、
よそ者(=イングランド)の王様を、
はいそうですかといって、
簡単に受け入れようとはしないウェールズ人たちに、











エドワード1世は、
約束した。










ウェールズ生まれで英語を話さない王様を連れて来よう」











誰を連れて来たかって?










答 : エドワード1世の生まれたての赤ん坊










この話は、
英語の教科書に載っているので、
毎年、生徒とともに訳させていただいており、
寝てても暗唱できるほどなのだが、











息子をウェールズ生まれにするために、
わざわざ、
臨月の奥さんを連れて来て、
ウェールズで産ませたそうです。









その赤ちゃんを、
「プリンス・オブ・ウェールズ」と名付け、
以後、
イングランド王の次期継承者のことを、
「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼ぶようになったという。







ちなみに、
現在のプリンス・オブ・ウェールズは、
チャールズ皇太子です。









エドワード1世は、
戦争ばっかやってて血の気が多そうなんだけど、










意外と家庭円満で、










最初の奥さんとの間に16人、
二人目の奥さんとの間に3人、










合計19人の子どもをもうけた。











最初の奥さんのエリナーは、
1254年、
13歳で結婚、
戦地へ向かう夫に同行し、
1255年、14歳で第一子を出産したのを皮切りに、
1284年、
一番下の子を産むまで、
実に、29年間、
ずーっと妊娠中というすごい人生を送っていて、










1290年、
49歳で亡くなっている。









人生の6割妊娠してて、
どっか不調にならなかったんでしょうか・・・???









てゆーか、
人間のメスというのは、
本来、
常に妊娠してるのが基本型であるように、
設計されているものなのかもしれません・・・










模範議会の話を、
もっと詳しく書こうと思ったが、
エリナーの妊娠力に打ちのめされたので、
また今度・・・









Victoriaでした。

・・・

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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記




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