ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (81) シチリアの晩鐘

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「シチリアの晩鐘








1282年、
シチリアの晩鐘」勃発。







シチリアの晩鐘って何???










晩鐘=夕方に鳴る鐘
のことでしょ?








ずいぶんとのどかな名前の事件なんだけど、









山川出版社「世界史用語集」によると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

シチリアの晩鐘 : 1282年、シチリアの貴族たちがパレルモを中心におこした反フランス(アンジュー家)大反乱。数千のフランス人が殺され、両シチリア王国シチリア王国ナポリ王国に分離した。










”数千人のフランス人が殺され”って、
ずいぶんと残酷な事件なんですね・・・










それで、
なぜ、
シチリアの晩鐘」と名付けられた???









答 : 暴動開始のちょうどその時、晩の祈祷を告げる鐘が鳴ったから。











経緯はこうです。










1282年当時、
シチリア王国はシャルルが支配していて、









シャルルというのは、
この人→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (74) マンフレーディ VS シャルル VS ローマ教皇 - Victoriaの日記
フランス王ルイ9世の弟で、










有能な兄がいる限り、
自分に王様の位は回ってこないと悟って、
イタリアへやってきて、
まんまとシチリア王になったという野心家で、









そこで満足せず、
今度は東ローマを取ってやるぞとばかり、
戦争準備に余念がなかったんだけれども、










シチリアの住民のみなさんは、
当然、
フランス人であるシャルルに支配されることを、
快く思っておらず、
不満が鬱積していたところに、








戦争ってのは、
お金がかかるから、
戦費調達のために、
住民に重税を課したので、









ついに、
住民の怒り爆発、
暴動になる。










事件発生は、
復活祭翌日の月曜日の夕方、
教会前には、
祈祷のために訪れた住民が多数集まっていて、










それで、
まったく何の打ち合わせもなく、
自然のなりゆきで暴動が起きたのか、










あるいは、
事前から準備していて、
多くの住人が集まっているところをねらって、
誰かが扇動したのかが、
よくわからないんだけれども、










とにかく、
これがきっかけとなって、
あっという間に騒ぎがシチリア全土に広がり、









当時、
シチリアにいた4000人のフランス人が、
皆殺しにされたという。









よっぽど、
腹にすえかねたんだろうね・・・










どうやら、
シャルルというのが、
戦争にしか興味がなく、
内政がお留守だったので、











彼の家来のフランス人が、
シチリアにやってきて、
好き勝手に収奪していたらしく、









怒ったイタリア人が、
この際、
フランス人は全員やっちゃえ!ということになったようである。










ふだんの行いが悪いといざと言うとき誰も救ってくれないということです。











シチリアというのは、
自由貿易のおかげで潤った大変に豊かな街で、











東西文明の十字路のような土地だったから、
(ノルマン文化+イスラム文化ビザンツ文化)










当然、
住民の文化レベルも高く、











そういう人たちをバカにした、
当然の報いを受けたとも言える。











しかし、
シャルルは、
最初の暴動が起きた時に、
事態をよく把握できず、
対応が遅れてしまって、










あっという間に、
シチリア全土を失ってしまう。









シャルルの後、
シチリア王の座についたのは、
アラゴン王ペドロ3世。









スペイン人です。









しかも、
マンフレーディの娘婿。










マンフレーディというのは、
シャルルが戦争で破って、
シチリアを手に入れるきっかけとなったという宿敵で、








ペドロ3世は、
父親の敵を討ったということになる。










この後、
シャルルとペドロ3世の二人は、
ずーっと戦争を続けるんだけれども、










結局、
最後には、
ペドロ3世が勝って、








以後、
シチリアアラゴン王の領土となった。










1443年、
南イタリアアラゴン家のものとなり、










これが、
のちのち、
フランス王のイタリア介入のきっかけとなる。










「イタリアは本来、フランスのものだったんだぜ!」









・・・



それで、
なぜ、
一連の戦争で、
フランスが敗れてしまったかということなんだけど、










出口社長によると、










フランスは豊かで気候もよく、女性がキレイな土地柄。そんなところに長くいたら、男はなまけぐせがついて、戦力落ちて滅ぶ。











・・・ということで、本日の結論 :









フランスの女の人は昔からキレイだったそうです・・・










・・・


それで、
「後のフランス王のイタリア介入」
と言うヤツが気になったので、
調べてみたんですが、









1494年、
フランス王シャルル8世がイタリアにやってきたことに端を発する、
イタリア戦争のことをさすと思われます。








15世紀〜16世紀にかけてのことなので、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ」シリーズで取り上げられるのは、
まだまだ先の話のようなんですが、









実は、
出口社長にすすめていただいた杉山正明氏の本が大変におもしろく、
ためになったので、

モンゴル帝国の興亡<上> (講談社現代新書)

モンゴル帝国の興亡<上> (講談社現代新書)

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)

モンゴル帝国の興亡〈下〉 (講談社現代新書)

もっといろいろ読みたいと思って、
さがしていたら、
出口社長がおすすめの歴史書を紹介なさっていることを知り→プロが作り込んだ珠玉の物語で、「失われた歴史」を知る:日経ビジネスオンライン









そこで、
出口社長が熱く語っていらっしゃった本があったので、
早速購入。

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)

塩野七生チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」











チェーザレ・ボルジアとか、
名前なのか?
というくらい、
なじみのない名前だったんだけど、












ローマ人の物語」を上回るとまで出口社長がおっしゃっていたので、
これは読まねば!











それで、
読み始めて気づいたんだけど、











冒頭、
いきなり、
シャルル8世がイタリアにやってくるところから始まるのよ・・・











もう、
鳥肌立っちゃって、










目が釘付けになってしまって、










しかし、
諸般の事情により、
まだ読了してないのですが、











宝物を掘り当てた気分・・・












これで、
次の講義の予習は万全?











それにしても、
全然知らなかったけど、








フランスとイタリアって、
いろいろあったんですね・・・









歴史の本を読み出したら、
後から後から知りたいことがいっぱい出てきて、











全部読むには、
人生は短すぎます・・・








ちなみに、
チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」ですが、
文庫版は昭和57年が初版で、
なんと、
58刷まで重ねてます。







すごい、
古典だったんですね・・・









Victoriaでした。


・・・

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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記



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