ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (86) ジブラルタルの数奇な運命&シャンパーニュの大市の黄昏

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は 「ジブラルタルの数奇な運命&シャンパーニュの大市の黄昏」







1292年、
イランの大詩人、サーディ没。









この方です。

薔薇園(グリスターン)―イラン中世の教養物語 (東洋文庫 (12))

薔薇園(グリスターン)―イラン中世の教養物語 (東洋文庫 (12))










同じ年、
カスティージャとジェノヴァジブラルタルを奪取、










これにより、
イスラム勢力による、
北アフリカとアンダルス(スペイン)の連携が断ち切られ、











同時に、
地中海と北海・バルト海を結ぶ海の道が開ける。











このあたり、
地図でみてみましょう。

山川出版社世界史総合図録p47を拝借して、
書き込み加えております。

山川世界史総合図録

山川世界史総合図録

ジブラルタル海峡というのは、
スペインと北アフリカの間の細〜い海峡で、










めっちゃ狭いところに高い山がそびえており、
そこから見張ると、
海峡を通る船が全部キレイに見えるっていう絶好のポイントで、











つまり、
よそ者がこっそりココを通るというのが、
不可能だという、
こわ〜い関所。












今までは、
イベリア半島に居座っていたイスラム国家がここを占拠していて、
いざと言うときには、
北アフリカから援軍を得ていたわけだけど、












その連携が断たれてしまって、
イスラム勢力がますます後退していくこととなる。













また、
これまでは、
ジブラルタル海峡が通れなかったため、
イタリア商人が、
北欧やイングランド、ロシアと取引するには、
船で川を下って、
フランスのシャンパーニュ地方で開かれる大市に出かけていたわけだけど、











直接、
船で北海・バルト海へ行けるようになり、
一気に利便性が高まった。











ということで、
12〜13世紀には、
国際市場として大変なにぎわいを見せたシャンパーニュの大市は、
役目を終え、
急速に廃れていく。











シャンパーニュでイタリアの通貨が使われていたという話はこちら→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (20) フェデリーコ2世の死と銀行の始まり - Victoriaの日記











・・・



ジブラルタルについて調べていて、
びっくりしたんだけど、










ジブラルタルって、
ヨーロッパに残された、
イギリス最後の植民地なのね・・・









イギリスが、
スペインからジブラルタルを合法的に手に入れたのは、










1713年 ユトレヒト条約











いや、
そんな古い話、
まだ有効だったんですか・・・












要所要所をきっちり押さえる、
イギリスの抜け目のなさに脱帽って感じだが、










当然、
スペインは今でも返還を求めており、










2012年(去年じゃないか!)に行われた、
エリザベス女王の即位60年を祝う昼食会に招待されたソフィア王女は、
イギリス王族がジブラルタルを訪問することに抗議して、
欠席したらしい→英エリザベス女王即位60年記念昼食会に欠席! スペインと英国の意外な(?)「対立」の関係とは - NAVER まとめ









う〜ん、
EU加盟国の間で、
こんなガチのバトルがあったなんて、










領土問題って、
ホント、
微妙・・・








Victoriaでした。


・・・


ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ バックナンバーはこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記





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