ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (24) ヴェネチア、アレクサンドリアの繁栄

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「ヴェネチアアレクサンドリアの繁栄」。





さて、
ヨーロッパからインドを経由し、
中国へ向かう海上の道には、
二つのルートがあって、



  1. ペルシャ湾
  2. 紅海


14世紀初め頃、
ペルシャ湾よりも、
紅海の方が治安が安定していたので、
貿易ルートが、
それまでのペルシャ湾経由から紅海経由に変わった。






ということで、
フィリップ4世は、
アレクサンドリアヴェネチアに、
領事を置いた。






ここにも、
宗教なんかどうでもよい、
それよりも、
貿易の利便性だ、
というフィリップ4世の実利的な面が表れている。





で、
「ル・ベル」と呼ばれた、
美しいフィリップ4世の肖像画があったので、
とってきました。

ウィキペディア・コモンズから拝借しております。




これ、
イケメンですか???




う〜ん、
私はタイプではない・・・





なんか、
冷たい感じがしない???







それで、
ヴェネチアだ、アレクサンドリアだといわれても、
ピンと来ないので、
地図さがしてきました。

青い付せんの先が、
ヴェネチアアレクサンドリアです。






ついでに、
ペルシャ湾と紅海の位置関係も。




どちらの地図も、
山川出版社世界史総合図録から拝借しております。

山川世界史総合図録

山川世界史総合図録

当時のペルシャ湾情勢は、
モンゴルのフレグ・ウルスが解体して、
1370年にティムール朝ができる前だったから、
当然混乱していて→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (20) 1370年 ティムール朝建国 - Victoriaの日記





対するエジプトは、
1250年から1517年まで続いた、
マムルーク朝の治世だったので、
比較的安定していた→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (38) 常勝モンゴルが負けた日 1260年9月3日 アイン・ジャールートの戦い - Victoriaの日記







ということで、
ヴェネチアから、
たくさんの商人が訪れるようになり、
インドの香辛料が取引されたりして、
アレクサンドリアは繁栄、






・・・ということで、本日の結論 :





やっぱり、
政治が混乱してると、
経済は発展しないってことね・・・





Victoriaでした。