ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 6 (36) セルビア王 ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンの黄金時代

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「セルビア王 ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンの黄金時代」。



まずは、
こちらの地図をご覧ください。

14〜15世紀のヨーロッパの地図です。
山川出版社世界史総合図録 p44より拝借しております。

山川世界史総合図録

山川世界史総合図録

バルカン半島のあたりだけ、
拡大してみたんですが、





という、
なじみのある名前がご覧いただけますでしょうか?





今回は、
セルビア王国のお話。





・・・


1330年、
セルビアブルガリア軍を大破するという事件があって、






その立役者がこの方。

ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン。






この肖像画は、
ウィキペディア・コモンズから拝借しております。





ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンは、
1308年生 - 1355年没、
セルビア国王在位が、
1331年−1346年、
セルビア帝国皇帝在位が、
1346年−1355年ということで、
47歳という働き盛りで亡くなっているので、
まだやり残したことがたくさんあっただろうという、
そういう方。







ブルガリア軍を大破した時は、
大軍をなして攻めて来たブルガリア軍を、
少数の軍勢で見事大破し、
軍人としての名をあげたようで、






その戦いの時点では、
父親が国王だったんだけど、
父を廃して、
自分が国王に。





その後もイケイケドンドンで、
領土を拡大して、
1346年には、
セルビア帝国を形成して、
皇帝に即位、






セルビアの黄金期を築いたヒーローなので、
今でも、
セルビア人には、
「ドゥシャン」という名前が多いんだとか。






ドゥシャンの目標は、
ローマ帝国の主人になることで、
コンスタンチノープルめざして進撃していた最中、
病死。






病死?
毒殺じゃないのか???







真相はわかりません。







毒殺だったかもしれないし、
ムリがたたって、
ホントに病気で死んだのかもしれない。







ひとつ確かなことは、






一代の英傑が、
ムリにムリを重ねて、
国をドンドン大きくしていく時というのは、





国の命運=大将の命運






なので、
先頭切って、
軍を率いていた大将が死んでしまうと、
あっという間に瓦解、







拡大する前よりも、
悪い状態になってしまって、






東ローマ帝国が弱ってきているのに乗じて、
勢力拡大を虎視眈々とねらっていたオスマン帝国にとっては、
願ってもない幸運、







ということで、
セルビアは、
14世紀末から約500年間、
オスマン帝国に臣従することになります。






Victoriaでした。