市長選候補者紹介(上) 政治家を志したころ

こんにちは。Victoriaです。
中日新聞名古屋市長選立候補者の紹介をしております。
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/vsshigikai/list/201101/CK2011012602000185.html

>>市長選の立候補者4人はいずれも50〜60代。国政や地方で政治経験を積み、今度は名古屋のリーダーを目指す候補者に、青雲の志を抱いて政治の世界に飛び込んだころを振り返ってもらった。 (上から届け出順)
石田芳弘さん(65) 犬山市長選の運動参加
 高校まで続けた陸上は腰のけがであきらめ、大学では「人前で話しができるように」と思い、雄弁会に入りました。弁論大会では「選挙の投票では、政党と人物を半々で評価するべきだ」と演説して優勝しました。

 卒業して家業の酒屋を継いだ翌年、犬山市長選の選挙運動に参加。演説した時の手応えを今も覚えています。当時は経済成長の真っただ中。「観光客をどう増やすか」「大型スーパーを誘致するべきか」−。まちの将来を皆が真剣に話し合う姿に感動しました。

 目をかけてくれたのが衆院議員だった江崎真澄さん。秘書になって道路から介護問題まで地域の要望を聞いて回るうち「誇れるまちのリーダーになろう」と心に決めました。
◆八田ひろ子さん(64) 男女賃金差別にあぜん

 高校時代、政治は働いてから関わるものだと思っていたし、共産党も何となく嫌いでした。ところが高校を卒業して銀行に入行したときのことです。

 頼まれて入った労働組合で、男女の賃金差別を知りました。同じ初任給で同じ仕事をしながら、半年後の昇給から違いが歴然。あるとき、男女ごとに経年の賃金グラフを作ったら、女性の最高年収はいつまでたっても、男性の最低年収を下回っているのです。世の中、どうなっているのってあぜんとしました。

 そのころ、ちょうどベトナム戦争も泥沼化。新聞赤旗が伝える一貫した反戦の主張にも共感を覚えました。男性も女性も、人間として大切にされる社会にしようと、共産党の活動に加わりました。
◆杉山均さん(54) 交渉重ねて職場を改善

 市バスの運転手をしていた30代半ば、所属していた車庫の所長が非常に厳しい方でした。抜き打ちの業務チェックや長時間の説教。あまりの管理主義に職場の雰囲気が悪くなっていました。

 警察官だった父譲りの正義感が見込まれたのか、同僚から「所長と交渉してほしい。若手でやれるのは君だけ」と組合の現場役員を頼まれました。すぐに引き受け、何度も所長と交渉。ときには6時間近くも話し合い、労使が納得できる職場環境の改善に努めてきました。

 市交通労組の役員になってからは週休2日制の導入や、運転手の負担を減らすためオートマチック車の採用を提言。おかしいことを率直に訴える姿勢は今につながっています。
河村たかしさん(62) 古紙回収業を継ぎ苦労
 大学を出て実家の古紙回収業を継ぎました。トラックで会社や商店の裏口を回り段ボールを仕入れるわけですが、すさまじい底辺の価格競争ですよ。そういう商売の苦労があるから「納税者に比べて政治は何をいばりくさっとるのか」との気持ちはあったですね。

 そんなとき、おやじに連れて行かれた春日一幸さんの演説会で、政治に夢を持つようになった。春日さんのしゃべりに「おもしれえがや」とあこがれた面もありますね。

 政治をやるのは、いばっとるやつ、税金で食って楽をしとる人間への私なりのリベンジですよ。体験から来てますからね、理論を超えとりますよ。理論だけでは途中でどうでもよくなって妥協してしまうだろうけど。<<

Victoriaでした。