台湾紀行 魂魄

こんにちは。Victoriaです。

さて、台湾紀行のレポートも一段落して、ようやくもとの生活にもどりつつあるVictoriaですが・・・

疲れが出たのか、抵抗力が落ちまして、しばらく中断していた抗生剤の服用をする羽目に・・・

今度は、http://health.yahoo.co.jp/hospital/medicine/detail/2/6132009F2020/

効能を読むと、ノルフロキサシン - Victoriaの日記と同じようなことが書かれております。
抗生剤もいろいろあるのね・・・
なんで、こんなにいろんな種類をのまなければならないのかは不明。
おそらく、病院によって納品されるお薬が違うからっていうのが、一番、現実的な理由なんじゃないかと思われます・・・

・・・
すっかり台湾のファンになってしまい、「台湾」とか「台北」という言葉に敏感になっている時に、http://www.asahi.com/sports/spo/TKY201102210127.htmlを見ていたら、これって、台北で開催されているのね。

街の風景が目に浮かぶようで、なんだかなつかしかった・・・
・・・
それでね・・・
なぜ、今回台湾に行ったかということですが・・・

ずいぶん前に、司馬遼太郎の「街道をゆく」の台湾編を読んだとき、「魂魄」という文章があって・・・
司馬遼太郎は、小説よりもエッセイ、その中でも「街道をゆく」が一番好きなんだけれども、その中でも群を抜いて好きな文章が「魂魄」。
そこだけコピーしてとってあって、折に触れて取り出しては読んでいたんだけど・・・

「魂魄」の登場人物は田中準造氏。
幼少を台湾の新営で過ごし、敗戦で一家は日本へ引き揚げ。
引き揚げの時は、大陸からやってきた中華民国の軍隊が日本人を監禁し、台湾人との間を遮断したため、現地の人とはさよならも言えずじまいに・・・

時は流れて、成人して新聞記者となった田中準造氏は、偶然、台湾を訪れる機会を得る。
田中氏は迷うことなく、沈乃零先生の医院をめざした。
沈先生は田中氏のかかりつけ医で、長男とは親友の間柄。
新営の駅でおりたら、街は様変わりしてしまい、道に迷って路上で子どものように泣いていたら、ひとびとが寄ってきて田中氏を立たせて沈先生の医院につれていってくれた。

沈先生は、小学生の時の田中氏しか知らないはずなのに、受付で「先生はいらっしゃいますか」という田中氏の声を聞いただけで
「田中さん」
といって、抱きつかれ、何十年ぶりかの再会を果たした二人は抱き合ったまま泣いた。
どうして見分けがついたかわからない。
魂魄のふるえというべきものだった・・・

というお話。

人生って、人智を超えたものによって導かれる気がすることがあるけど、それって、魂魄のふるえなのかもしれない・・・

Victoriaでした。