年上の女
こんにちは。Victoriaです。
さて、今週のお題「私の小さなこだわり」 お花見は吉野の下千本・中千本・上千本・奥千本へ - Victoriaの日記で、在原業平の歌をご紹介しました。
これです。
世の中に 絶えて桜のなかりせば
春の心は のどけからまし 在原業平
<Victoria語訳 歌意>
世の中に桜なんて花がなければよいのに。
美しい桜の花が散っていくのを見ると、
ボクの心も千々に乱れてしまうよ・・・
ご存じのように、在原業平は六歌仙の一人。
非常に情熱的で恋多き男。
彼の読む歌も、奔放な恋を歌ったものが多く、ファンが多い。
在原業平の華麗な女性遍歴は、「伊勢物語」のモデルにもなった。
・・・
ということで、平安の世のプレイボーイといえば、在原業平なんだけど、同時代に生きたプレイガールとして名高いのが、小野小町。
小野小町も六歌仙の一人で、情熱的な恋の歌をたくさん残しています。
中でも百人一首に納められている次の一首は大変有名。
花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身よにふる ながめせしまに 小野小町
高校の古典の教科書にも必ず出てくる名歌で、教科書的な歌意は次のように書かれています。
<歌意>
桜の花の色つやはあせてしまったことだなあ。
そのように私の容色もすっかり衰えてしまったよ。
我が身に起こる悩みにかかわりながら、むなしく世を過ごし、降り続く長雨をながめ暮らして、物思いに沈んでいるうちに。
そして<解説>には、
作歌事情不明の歌。
咲く花の色に、自分の容色の意をもたせているとみる説もあるが、必ずしもその意をもたせる必要はなかろう。
と書かれています。
要するに、桜の花が、長雨にうたれて無惨な姿になって散っていく様子を見ながら、昔の容色が衰えてしまった我が身を重ね合わせてなげいた歌だっていうのが、定説になっているわけです。
私はね、
この解説書いた人って、絶対に男だと思うのよ。
だって、全然女心がわかってないもの。
実はね・・・
昨日、「吉野に行ってきました」っていう方のお話を聞いていたら、
数年前に見た、吉野の山全体が桜色に燃える光景を思い出して・・・
その時、突然、小野小町がどういう状況でこの歌を書いたのか、わかったのよ・・・
これはね、小野小町が年下の男に恋をしたときに詠んだ歌なんです・・・
女がね・・・
何の理由もなく、散りゆく桜を見て、
ああ、私の昔の美貌はどこへ行ったの・・・?
なんて、詠むはずがない。
切実にそんなことを思う時って、
年下の男を好きになったに決まってます・・・
ということで、
<Victoria語訳 歌意>
ああ、また私、恋をしてしまったわ・・・
それも、今度は年下なのよ。
まったくどうしましょう・・・
昔の私なら、何のためらいもなく、飛び込んでいったけど、
今は、どんなにがんばったって、もうダメ。
彼に今の私の姿をさらすなんて、ぜったいできないわ。
ああ残念、出会うのが10年遅かったわね・・・
ていうか、テメェ、産まれてくるのが、10年、遅いんだよ!!!
Victoriaでした。