今週のお題「私の小さなこだわり」 乳ガン検診は欠かさない
こんにちは。Victoriaです。
キャンディーズのスーちゃん(田中好子さん)の「お別れテープ」には、泣いちゃいました。
享年55歳。
乳ガンだった。
会社員をやめてから、ずっと自営業のVictoria。
費用は自分もちだし、時間かかるし、バリウムキライだし・・・
なので、健康診断はさぼりがち。
しかし、乳ガン検診だけは毎年欠かさず受診。
生命保険は入ってないけど、ガン保険だけはしっかり加入。
なぜかというと、
母が乳ガンになったから・・・
子どもの頃から、新しい言葉を覚えるのが大好きだったVictoria。
大学へ進学してからは、単位が許すかぎりめいっぱい外国語の授業をとり、それだけでは物足りなくて、語学学校へ通ったり短期留学したり・・・
バイトをしてためたお金で海外旅行することを覚え、休みのたびにあちこちへ一人旅。
パスポートのスタンプがみるみる増え、何があっても動じない度胸がついたはいいけれど、
外国人の男までついてきた・・・
・・・
もうね・・・
言葉は不自由しないし、仕事もみつけられそうだし、彼氏とゆくゆくは結婚すれば海外永住も夢ではないので、日本脱出するつもりだったのよ・・・
だから、彼氏つれて一時帰国して、お披露目ってやつ?
親にも一応紹介しとかないとうるさいし、彼氏にも、日本を見せときたかったしね・・・
彼氏の日本滞在ビザが3ヶ月だったから、それをめいっぱい使って、3ヶ月間、日本でいっしょに暮らした。
それでね・・・
あと、3日で日本を出るという日。
母が病院へ行ったのよ。
半年くらい前からいろいろと体調不良が続いていたらしいんだけど、やっと時間ができたので、検査してもらうために。
そしたら、乳ガンがみつかった。
第2期っていうの?
結構進行していて、触診ですぐわかるくらい大きくなってて。
そのまま即入院して手術ってことになって、父ではよくわからないから、私が、着替えとか、こまごましたものを、母の代わりに家に取りに行って、手術にもつきそうことに。
その時まで知らなかったんだけど、ガンの手術をした後、切除した部位っていうのは、できるかぎり、家族に見せるんですってね。
手術が終わるのを待っていた私のところにドクターが銀色のトレーを持ってやってきた。
トレーの上には、灰色がかったピンク色のものが・・・
ドクターは、私の隣に座ると、そのピンク色のものを見せながら言った。
「お母さんのガンは、全部取りました。ほら、ここ、触ってみてください。しこりがあるでしょ?これが、ガンです」
あの時の衝撃は忘れない。
高校生のころから、家を出て寮生活をしていた私は、しょっちゅう問題を起こし、そのたびに母は一泊の着替えをつめたバッグを持って寮にかけつけて来た。
恥ずかしいからやめてっていうのに、菓子折持って職員室の先生に頭下げたり。
まだそんな仲じゃないからもう少し待ってっていうのに、彼氏の実家に押しかけて、向こうのご両親をびびらせたり。
「この子は絶対、男関係で問題起こす」
という母の予言通り、ついには言葉の通じない彼氏まで連れて帰ってくる始末。
母の心労はピークに達していたに違いない。
銀色に光る冷たいトレーの上に、さっきまで母の身体の一部であった肉体の破片がのせられているのを見たとき、目が覚めた。
ごめんなさい、お母さん。私が悪かった・・・
手術の翌日、彼氏は一人で帰っていった。
ぎりぎりまでいっしょに日本を出ようと思って、空港まで行き、チェックインまですませたんだけど、
搭乗口まで行ったとき、私には乗ることができなかった。
いったん、チェックインしてから引き返すって、すんごい大変だってこのとき発見。
出国を取り消すわけだからね・・・
語学関係の仕事をさがすには、東京に住むのがベストだったんだけど、その気はなかった。
呼ばれたらすぐに車でかけつけることのできる距離に住まなきゃ、意味がない。
Victoria、名古屋に住み始めたのは、この時から・・・
・・・
だから、乳ガン検診だけは、毎年欠かさず受診。
マンモグラフィーは涙がでるほど痛いけど、それでも受診。
毎年、春に検診受けるたびに、あの時のことを思い出す。
あの後も自由奔放な生活は基本的には変わっていないけど、親に黙って外国で長期滞在することはなくなった。
あと、新しい彼氏ができても、親には極力隠す。
悩みの種をわざわざ増やす必要はないからね・・・
・・・
母の手術の日に関するエントリーはこちらです。
今週のお題「好きな調味料」 かつおだしが教えてくれた真実の愛 - Victoriaの日記
Victoriaでした。