水野和夫・萱野稔人 「超マクロ展望 世界経済の真実」 (3)実物経済から金融経済へ

こんにちは。Victoriaです。

超マクロ展望 世界経済の真実 (集英社新書)

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今回は、「実物経済から金融経済へ」のまとめです。

1 実物経済から金融経済への方向転換はなぜ起こったのか

さて、まとめ(2)で説明した「交易条件」は、実物経済の状況を表したもので、資産の売買回転率などを高めることによって得られる売却益は交易条件の影響を受けない。

会社でいえば、キャピタルゲインなどは除外されている。


16世紀から73年のオイル・ショックまでは、できるだけ交易条件を有利にして市場を拡大していけば、名目GDPを増加できる構造になっていた。

しかし、1974年を境にして、世界資本主義そのものの大きな構造転換が始まる。

オイル・ショックは、それまで植民地だった資源国が独立を果たし、自国の資源をその価格をふくめて管理しようという資源ナショナリズムがおこったことが前提にある。

つまり、交易条件の変化には、先進国と途上国とのあいだの力関係の変化があったわけだ。

交易条件が悪化し、実物経済では稼げなくなった先進国は、金融にもうけ口を見いだしていくことになる。

2 世界の「金融帝国」にのし上がったアメリ

日本は、二回のオイル・ショックを省エネ技術でなんとか克服し、99年までは交易条件を改善させることに成功した。

しかし、省エネ技術に遅れをとったアメリカは、金融経済による利潤の極大化をめざしていくようになる。

アメリカが本格的に金融経済化の道を進むようになるのは、95年以降。

1995年とは、国際資本が国境を自由に越えるようになった年である。

つまり、95年以降、すべてのマネーがウォール街に通ずるようになり、アメリカは事実上、日本やアジアの新興国で余っているお金を自由に使えるようになった。

95年から08年までの13年間で、世界の金融空間でつくられたお金は100兆ドル。1ドル=100円で計算すると1京円である。

ちなみに、日本が戦後60年間がんばって実物経済のレベルで稼いだお金は1500兆円なので、そのすごさがわかる。

このようにして、アメリカは、世界の「金融帝国」としてのポジションを確立。

世界中から集めたお金を回すことでお金を増やし、世界中の商品を買い、自分たちは生産しないで過剰消費を続ける。

こういう構造が金融危機まで続いた。


3 金融商品化された石油

1970年代まで、セブン・シスターズとよばれる石油メジャーが、油田の開発権を独占し、国際カルテルをむすんで価格を仕切っていた。

このため、先進国は安いお金で原油を買うことができた。

しかし、資源ナショナリズムにより、多くの産油国で油田が国有化され、石油メジャーは石油利権を失ってしまう。
石油の価格決定権はOPECの手に渡った。

その価格決定権を取り戻そうとして、アメリカは1983年に石油の先物市場をつくる。
つまり、石油を金融商品化して、国際石油市場を整備してしまうことによって、石油を戦略物資から市況商品に変えてしまった。

OPECが価格決定権を獲得した時点では、地政学的な枠組みの中にあった石油が、領土主権のもとで戦略的に取引されるものではなく、国際石油市場で自由に売買されるものとなっていった。

先物市場で取引される一日あたりの生産量は、世界全体の1〜2%しかないのに、それが国際的な価格決定をしてしまうわけである。

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まとめは(4)へつづく・・・

Victoriaでした。