水野和夫・萱野稔人 「超マクロ展望 世界経済の真実」 (2)景気がよくなっても所得が増えない理由

こんにちは。Victoriaです。

超マクロ展望 世界経済の真実 (集英社新書)

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今回は、「景気がよくなっても所得が増えない理由」についてのまとめです。

1 新興国の台頭による資源価格の高騰

水野先生は「資本主義経済の分析には国家をはじめとする政治的なものについての考察が不可欠」だという立場で、その典型的な例として「資源価格の高騰」をあげている。

第一次オイル・ショック後、鉱物性燃料の輸入代金がもっとも少なかったのは1994年。
94年の原油価格は1バレル17.2ドルで、日本は全体として年間4.4兆円払えば原油天然ガスなどを買えた。

ところが2008年には、1バレル99ドルまで上昇、年間27.7兆円出さないと同じ量の原油天然ガスが買えなくなった。

これが何を意味するかというと、90年代前半までは、多少の資源価格上昇ならば、製品価格に反映させることによって相殺させることができた。なぜなら、グローバル化以前は先進国は先進国に対して輸出していたので、資源価格高騰は先進国に共通な現象だから、日本でインフレならアメリカでもインフレだったからだ。

しかし、20世紀末からはじまった資源価格の高騰は、そういった次元では対処できない段階に入った。つまり、新興国の台頭によって、先進工業国は自分たちの利益を最大化するために、安く資源を買いたたくという構造がなくなってしまった。

2 下落する先進国の交易条件
ここで、交易条件の変化を見てみる。
交易条件とは、どれだけ効率よく貿易できているかをあらわす指標。

たとえば、資源を安く手に入れて、高い値段で工業製品を輸出すれば儲かるし、高い値段で資源を仕入れた場合、製品に価格転嫁できなければもうけは薄くなる。

会社でいうと、仕入れと販売の関係にあたるものを、国単位でみるのが交易条件。

具体的には、輸出物価を輸入物価で割ることで計算する。

それをグラフにしてみると、70年代あたりから、先進国の交易条件は下落傾向、逆に途上国は改善傾向にあるのがわかる。

第一次オイル・ショックまでは、先進国が安く原材料を仕入れ高く完成品を売る一方で、周辺国は高い工業製品を買って安い原油を売っていた。

しかし、第一次オイル・ショックを契機として、新興国・資源国の交易条件は急速に改善。

先進国は資源を安く買いたたくことができなくなってしまったので、モノをつくって売ってももうけがどんどん減ってきてしまった。

3 景気がよくなっても所得が増えない理由

リーマン・ショックの前、日本では02年から07年の6年間にわたって長期の景気拡大が実現したが、国民の所得は増えなかった。

それは、交易条件が悪化したことで原材料費が高くついてしまうようになったため、売上が伸びても人件費に回せなくなったからだ。

売上高の中身は、変動費と固定費と利益の三つ。
一般的に原材料費は変動費で、人件費は固定費である。

日本では、95年から08年にかけて、大企業製造業の売上高が43兆円増えた。
しかし、変動費は50兆円も増えている。
変動費が増えた分、削られたところがあるわけで、それが、固定費の人件費や営業利益である。

実は95年というのは、第一次オイル・ショック以降でもっとも売上高変動比率が下がった年で、1973年以前の水準にまで下げることに成功した。企業努力でオイル・ショックを克服したわけだが、その努力を、資源高が吹き飛ばしてしまったことになる。

90年代半ば以降は、日本で派遣社員契約社員などの非正規労働者が増えた時期。
一般的にはこの時期における企業の人件費カットは不況のせいだと言われるが、決してそうではない。

そもそも日本では、93年までは不況下でも賃金が下落することはなかった。
しかし、97年から賃金は、景気が良くても悪くても下落を続けている。

これは、景気が回復することと所得が回復することが別々の問題になっていることを意味する。

日本だけでなく、アメリカでも同じ傾向が見られる。

所得の低下は、先進国の交易条件が悪化したことが最大の原因だったのである。

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まとめは(3)へ続く・・・

Victoriaでした。