武田徹 私たちはこうして「原発大国」を選んだ (9)総集編

こんにちは。Victoriaです。

今回は、総集編ですので、最後に「合理性の強制」についてまとめたいと思います。
武田徹 私たちはこうして「原発大国」を選んだ (1) - Victoriaの日記
武田徹 私たちはこうして「原発大国」を選んだ (2)原子力的日光の中でのひなたぼっこ - Victoriaの日記
武田徹 私たちはこうして「原発大国」を選んだ (3)中曽根康弘と原子力の黎明期 - Victoriaの日記
武田徹 私たちはこうして「原発大国」を選んだ (4)日本中を歩き回ってウランを探せ! - Victoriaの日記
武田徹 私たちはこうして「原発大国」を選んだ (5)大阪万博会場に送られた原子力の電気 - Victoriaの日記
武田徹 私たちはこうして「原発大国」を選んだ (6)過疎地への原発誘致を決定づけた電源三法交付金 - Victoriaの日記
武田徹 私たちはこうして「原発大国」を選んだ (7)なぜ事故は起こるのか - Victoriaの日記
武田徹 私たちはこうして「原発大国」を選んだ (8)JCO臨界事故 - Victoriaの日記
<合理性の強制>

原発運動について、高木仁三郎は次のように述べている。

原発問題をやっていると非常に顕著なことなんですけれども、
『ここに原発が建ってもらったら困る』『いやだ』『反対だ』『いらん』
という議論は、論理的に、既存の科学の形式にのっとってやらなければならないということになるんですが、
これは、普通に地道に生きている人間にとって、ものすごい強制なんですね。

本当は、『おれはイヤだ』『家風に合わん』『魚が反対している』など、
いろいろな反対の理由があって、それはそれでみんな十分な言い分があるんです。

原発問題の専門家は、原子力の学者だけということではなくて、
漁師も市民も、それぞれの専門家であって、
少数者の意見であっても、その人の経験や思想に根ざしていて、
合理的に説明はできないけれども、うまく物事の経緯を言い当てている、長い歴史によって培われた経験知というものも
あるわけです」

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科学的合理主義が行きすぎた結果、理論的に証明できないものを非合理性として排除することが、時に間違った方向へわれわれを導くことを肝に銘じ、「論理」ではない「道理」に真剣に耳を傾けてみることが、これから原子力をどうするのかという選択をする時に必要なのかもしれない。


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原発関連の本は、たくさん緊急出版されていますが、
1946年から現在に至るまでの原発の歴史の流れを知りたいという方には、
この本はお薦めだと思いました。


Victoriaでした。