堀江邦夫 原発ジプシー  (6) 福島第一原子力発電所  隠された災害

こんにちは。Victoriaです。

原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録

原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録

今回は、第2章 福島第一原子力発電所から、隠された災害のまとめをお送りします。

<東電は、めったなことでは救急車はよばない>


>>1977年4月22日、福島三号炉で発生した下請け労働者、萩原勇一さんの転落死亡事故は、原発で働く下請け労働者が極めて悪条件のもとで働かされている事実を如実に示すものであった。
事故後の処理の問題は、救出され病院にかつぎこまれるまでかなりの時間がかかり、一説では2時間近く放置されていたと言われる。
転落した萩原さんは、全身放射能まみれとなり、東電当局は管理区域外への搬出をおさえ、出血もひどいため除染もうまくできないまま放置していたと伝えられている。
原発闘争情報』36号・原子力資料情報室編集発行<<




この記事にあるように、原発内で事故があっても、東電はめったなことでは救急車を呼ばない。
救急車を呼ぶと、マスコミにかぎつけられるからであろう。

1月22日、堀江さんは、「左肋骨骨折。左肋部・同側腹部打撲」という大けがを負う。

たしか、三日前には蓋があったマンホールの蓋が撤去されていたにもかかわらず、
ビニールシートが張ってあったためそれに気づかず、マンホールに落ちたのだ。

しかし、堀江さんのけがよりも、東電にこの事故がばれることのほうを心配した責任者により、
こっそりと病院に連れていかれることになった。

しかも、労災扱いにはできないという。

労災扱いにすると、労働基準監督署の立入調査があり、東電に事故のあったことがばれてしまうからだった。

結局、療養のために、一時自宅に帰ることになった。

福島原発構内には「無災害150万時間達成記念」と記された塔が立てられていたが、
東電のいう「無災害」とは、災害が発生しなかったことではなく、
災害が公にならずに済んだことではないのだろうか。


Victoriaでした。