堀江邦夫 原発ジプシー (8) 敦賀発電所 被ばくを増大させる設計
こんにちは。Victoriaです。
- 作者: 堀江邦夫
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- 発売日: 2011/05/25
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<被ばくを増大させる設計>
敦賀原発が運転を開始したのは、1970年3月4日、大阪万博が開幕した日である。
(武田徹 私たちはこうして「原発大国」を選んだ (5)大阪万博会場に送られた原子力の電気 - Victoriaの日記)
我が国初の沸騰型軽水炉として、また、万博会場に火をともした原発として、
この運転開始はマスコミをにぎわせた。
建設中の敦賀原発を新聞は、
「地震でも平気」「観光資源にも」「生活革命起こる」「炉の安全施設に心砕く」などと、バラ色の見出しでほめたたえた。
しかし、いざ稼働してみると、トラブル続出。
「運転停止」「再開」を繰り返していた。
敦賀原発では、定期検査が始まるたびに、それ用に電気を引いてくるために、
労働者が敷地内に入って、あちこちに電源を設置することになっていた。
毎年、定期検査を行うことがわかっていながら、定期検査用の電源すら確保されていない。
その作業のために、労働者は当然被ばくする。
3月28日、アメリカのスリーマイル島で原発事故があった。
事故から一週間後の新聞紙面には、
「アメリカの原発事故を、日本でどんな小さな事故も起こさないために、よい機会にしなければならん。
ああいう事故がないと進歩はないよ」(土光敏夫経団連会長)
「日本の原発は米国のような事故が発生する恐れはない。
安全運転には念を入れるが、運転を停止して点検するより、運転しながら点検する方が有効。
国民には安全対策が十分おこなわれていることを十分知ってもらい、理解を求めるよう努力する」(平岩外四電気事業連合会会長)
などの談話が載った。
労働者の間では、
「原発で働いていた者は、今日は休みだなって思っていると、コロッと死んじゃうやつが多い」
ということがささやかれていた。
線量の高いところで、アラームが故障していたため、通常の10倍以上の放射能を浴びてしまい、
その後、内部被ばくが下がらず、原発では働けなくなってしまったというような話もゴロゴロあった。
4月19日、堀江さんは敦賀発電所を去る。
7ヶ月に及ぶ原発下請け労働者としての生活を続けてきて、
肉体的にも精神的にも限界に来たためだ。
堀江さんには、体内被ばくが残された。
Victoriaでした。