ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ (5)目には目を、歯には歯を

こんにちは。Victoriaです。

さて、ライフネット生命保険の出口社長の講演会、
時代は紀元前18世紀までやって来ました。


<目には目を、歯には歯を>


アッカドサルゴンによって初の帝国が築かれ、
その後、ウルナンム王により再統一されてできたウル第3王朝が倒れたメソポタミア地方を次に統一したのは、
古バビロニア王国
バビロン第一王朝の幕開けである。


有名なのは紀元前1792年から1750年まで統治した6代ハンムラビ王。



ハンムラビ王といえば、


ハンムラビ法典



「目には目を、歯には歯を」の復讐法の元祖。


ただ、調べてみると、
単純な「やられたら、やり返せ」という考えで作られたわけではないらしく、
「やられたら、やられた分だけやり返すにとどめ、
倍返しみたいなえげつない復讐はしたらあかんで」
という面もあり、そういう意味では先進的だったのかもしれない。

また、女性の側からの離婚の権利を認めるなど、
男女平等の考えもみられ、
犯罪に対して厳罰を加えることが目的というよりは、
多民族国家を統一していくために、
社会秩序を保つという意味で厳しい法律が必要だったという面もあるようだ。


しかし、ウル・ナンム法典と比べれば、
古い部族の法律に戻ってしまった部分もたしかにあり、
出口社長によれば、
バビロン第一王朝を築いたアムル人がもともと野蛮であったこと、
また、このころ、ユーラシアの気候が悪くなり、
農業の生産性がガタ落ちして、生き残りのためにみんなが必死になった厳しい時代であったので、
厳しい法律が求められたのだろうとのこと。


それで、「目には目を」の実例を見てみたんだけど、
例えば、
「子が父を打ったら、手を切られる」
「奴隷が自由民の頬を打ったら耳を切られる」
って感じの条文があるらしい。


「目には目を」が成立するのは、あくまでも身分が平等な人間同士に限られたらしいんだけど、
たしかに、罪をお金で償うっていうウル・ナンム法典に比べると、過激かも。



多民族国家を治めるっていうのは、
大変だったのね・・・




Victoriaでした。

・・・
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