ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (4)イスラム教の誕生
こんにちは。Victoriaです。
2012年3月25日、キャンパスプラザ京都で行われたライフネット生命保険の出口社長の講義、
時代は7世紀に入りました。
西暦600年頃、
中央アジアからメソポタミア地方はササン朝ペルシア、
シリアから北アフリカはビザンツ(ローマ)帝国が治めていた。
610年、
ビザンツ帝国ではヘラクレイオスが即位、
ササン朝ペルシアではホスロー2世が即位し、
国の命運をかけた総力戦が始まる。
614年、ササン朝ペルシアが、
ペルシアの栄光を取り戻すため、
シリア、エジプトを占領。
エジプトはローマの穀倉であり、
重要な拠点であったので、
ローマ軍がたくさん駐留していたので、
ペルシア軍は消耗してしまう。
(ローマにとってエジプトが何を意味するかについては、こちら→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ (18)ハゲの女たらしカエサル - Victoriaの日記)
628年、
今度はヘラクレイオスが、シリア、エジプトを奪回。
こうやって、
二大帝国は死力を尽くして総力戦を繰り広げるうち、
くたくたに消耗しきってしまう。
つまり、
ここに権力の空白が生まれたことがポイントで、
それがイスラム帝国誕生の引き金となる。
・・・
さて、
ヘラクレイオスおよびホスロー2世が即位したのとまさに同じ年、
610年にムハンマドが布教を開始する。
この時、
ムハンマドは40才。
無学文盲であったが、
突然、神の声を聞くようになり、
それを当時結婚していた15才年上の妻に話したのが布教の始まりで、
妻が最初の信者だったと言われる。
622年、
ムハンマドはマッカの町を追放され、
マディーナに移る。
この事件を「ヒジュラ」といい、
この年が「ヒジュラ(イスラーム)暦元年」と定められた。
ムハンマドは、元は商人だったが、
国をつくる能力に優れ、
あっという間に勢力を拡大、
630年、マッカ征服。
カアバ神殿に祀られていた偶像をすべてたたき壊してしまう。
このあたり、
イエス・キリストがやったのと全く同じことを行っている。
また、この時、
カアバ神殿を白い布で覆った。
これがイスラムにおけるキスワの始まりで、
現在もキスワを奉納することは、
イスラム教の大事な儀式となっている。
イスラム教の土台をつくったムハンマドは、
632年マディーナの自宅で病死。
彼の死後、
友人たちがカリフとして大帝国を率いていく。
幸運だったのは、
ムハンマドの後を引き継いだ初期のカリフたち、
アブーバクル、ウマルらが、
極めて有能だったことである。
ウマルはニハーヴァンドの戦いでササン朝を破り、
ササン朝は651年に崩壊、
ローマも領土を縮小。
ということで、
7世紀に誕生したイスラム世界は、
その後急速に拡大していく・・・
Victoriaでした。
ライフネット生命保険
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「ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3」バックナンバーはこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (1) 再び出口先生にお目にかかる - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (2) 貿易の要所を押さえて最盛期を迎えたササン朝ペルシア - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (3) 日本に仏教が伝来した理由 - Victoriaの日記
「ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 1」はこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ (20)総集編 - Victoriaの日記
「ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 2」はこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ 続編 (25) 総集編 AD元年〜500年の世界 - Victoriaの日記