ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (16) ムハンマドなくしてカールなし
こんにちは。Victoriaです。
2012年3月25日、キャンパスプラザ京都で行われたライフネット生命保険の出口社長の講義、
今回は8世紀末ヨーロッパ。
前回は、
メロヴィング朝から王権を乗っ取って、
カロリング朝を始めたピピンが、
教皇のお墨付きをもらうため、
教皇領の始まりとなった土地を寄付する
ピピンの寄進
まで見たんだけど、
(ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (14) ピピンの寄進 - Victoriaの日記)
カール大帝は、
768〜814まで、
ほぼ半世紀近くにわたって、
フランク王国の国王として君臨した人物で、
カール大帝なくして、
今日の西ヨーロッパはないと言われるほど影響力のあった国王、
トランプのハートのキングのモデルになった王様でもある。
・・・
カール大帝は戦争好きで、
46年間の治世の間に行った軍事遠征が、
53回。
フランク王国ともめるのを避けるため、
イタリアが政略結婚のため送ってきた娘と、
いったんは結婚したんだけれども、
結局、戦火を交えることとなり、
ヨメを実家に送り返したりなんかしている。
女より戦争とるとは、
戦国武将の鏡・・・???
ヨメを手元に置いたまま、
実家とドンパチやるよりは、
すっぱり縁を切ってやってもらったほうが、
ヨメをいたずらに苦しめることがなくていいかも・・・
・・・
さて、
カール大帝が「大帝」と呼ばれる理由は、
ヨーロッパに侵入してきた遊牧民たちをやっつけたから。
特に、
6世紀以降、
中央ヨーロッパに侵入してきていたモンゴル系遊牧民、
アヴァール人を撃退したことで、
みなからの尊敬を集め、
ヨーロッパに侵入してくる遊牧民たちを撃退して、
帝権を確立するというパターン。
カール大帝といえば、
カールの戴冠。
800年、
教皇レオ3世が、
前年、命をねらわれたところを助けてくれたお返しに、
カールに西ローマ皇帝の帝冠を授けたという大事件で、
このことにより、
ローマ皇帝が二人存在することになった。
本家本元の東ローマ帝国は、
もちろん、カール大帝を正式の皇帝とは認めず、
東ローマ帝国に対抗して、
教皇権を確立したかったローマ教皇の宣戦布告というか、
独立宣言みたいな意味合いがあったわけだけど、
これを契機に、
西ローマ帝国が復活、
東ローマ帝国とは、
精神的風土が全く異なる西欧社会の幕開けである。
カール大帝は、
生涯で5回結婚、
第2夫人も4人おり、
もうけた子ども、計20人。
男の子は、
カールよりも早死にしてしまったんだけれども、
女の子はおおむね無事成人したらしい。
しかし、
カール大帝がなかなかお婿さん候補に首を縦にふらなかったため、
娘達は勝手に結婚してしまって、
スキャンダルを起こした。
マッチョで厳格な父親を持つと、
娘は駆け落ちするしか手段がなく、
かえって奔放な人生を歩まざるを得ないっていうのは、
8世紀ヨーロッパからの伝統だったのね・・・
・・・
カール大帝の治世に関して言われる有名な言葉は、
ムハンマドなくしてカールなし。
イスラム帝国が勃興し、
バグダードとサッマラーに、
2つの100万都市を作ったおかげで貿易がさかんになり、
カロリング家が栄えて、
その結果、カール大帝が生まれた。
(ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (12) 安史の乱とアッバース革命を結ぶ道 - Victoriaの日記)
ちなみに、
サッマラーというのは、
世界遺産のミナレットで有名なイラクの都市で、
一時、アッバース朝の首都がおかれたが、
短期間で首都がバグダートに戻ってしまったため、
都市ごと放棄されたことが幸いし、
手つかずのまま、
当時のモスクが残っている。
9世紀からずっと無傷で立っていたミナレットだが、
2005年のイラク戦争でアメリカ軍の砲撃にあい、
損傷した。
「ムハンマドなくしてカールなし」
という言葉は、
多少、
的な感じがしなくもないんだけれども、
イスラム勢力が地中海世界の海上貿易を完成させ、
グローバルなお金の動きができたことが、
古代から中世への潮目になったということは、
確実に言える。
・・・ということで、本日の結論 :
ゲルマン、ローマ、キリスト教という、
西欧社会の三要素は、
イスラム帝国の勃興なくしては成立しなかった。
Victoriaでした。
・・・
「ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3」バックナンバーはこちらです。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (1) 再び出口先生にお目にかかる - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (2) 貿易の要所を押さえて最盛期を迎えたササン朝ペルシア - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (3) 日本に仏教が伝来した理由 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (4)イスラム教の誕生 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (5)アラブ人の征服地統治政策とコーランに異本がない理由 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (6)正統カリフ時代の終焉とウマイヤ朝の成立 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (7) 煬帝は暴君か? - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (8) 玄奘の奇跡 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (9)拓跋帝国の完成と白村江の戦い - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (10)7世紀の東アジアは女性の世紀 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (11) 聖像禁止令と東西教会の分裂 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (12) 安史の乱とアッバース革命を結ぶ道 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (13) 武則天 VS 楊貴妃 二人は幸せだったのか? - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (14) ピピンの寄進 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (15)両税法がもたらした均田制の崩壊と大土地所有制の拡大 - Victoriaの日記
「ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 1」バックナンバーはこちらです。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ (20)総集編 - Victoriaの日記
「ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 2」バックナンバーはこちらです。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ 続編 (25) 総集編 AD元年〜500年の世界 - Victoriaの日記