ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (6) ガズナ朝マフムードのインド侵入

こんにちは。Victoriaです。

2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は「イスラームのインド・アフリカ進出とトルコ民族の台頭 その1 ガズナ朝マフムードのインド侵入」。



さて、
ライフネット生命の出口社長による5000年史 Part4は、
11、12世紀の世界なので、
ハイライトはなんと言っても、








十字軍。







山川出版社の世界史用語集によると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

>>十字軍 : 整地イェルサレムイスラームの支配から奪回する目的で結成されたキリスト教徒の軍隊。<<



しかし、
実態は必ずしも宗教戦争だったとはいえず、
単なる領土ぶんどり合戦の意味合いも濃く、
実際、イスラム側ではこれが宗教的な動機に基づくものとは全く考えておらず、
野蛮なフランク人が攻めて来たぞ〜、くらいに思っていたらしい。









何はともあれ、









キリスト教徒 VS イスラーム










の戦いであったことは間違いないので、
これからしばらく、
十字軍遠征開始前、
イスラームがインド・アフリカへと勢力を拡大していく様子をみていきます。









あまりなじみのない地名・人名が続くんだけど、
がんばってついてきてください(と、自分に言い聞かせるVictoria・・・いやもう、知らん名前ばっかで参ったわ〜。どれが地名でどれが人名なんだかさっぱり・・・)









・・・

1000年、ガズナ朝マフムードがインド侵入開始。






ガズナ朝というのは、
現在のアフガニスタンのガズナを首都としたイスラム王朝(962〜1186)で、
マムルーク(奴隷軍人)出身者が建てた王朝である。(マムルークについてはこちら→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (23) アッバース朝がバグダードからサーマッラーへ遷都した理由 - Victoriaの日記








ガズナ朝は、
第7代マフムードの在位中(998〜1030)に最盛期を迎える。








マフムードは17回にわたるインド遠征を行い、
金銀財宝を奪おうとした。








当時、
金銀財宝がある場所といえば、







宮殿と宗教施設。








王様というのは、
金銀財宝をためこむものだから、
宮殿にあるのはいいとして、









なぜ、
宗教施設にあるのか?








答 : 無税だから。







宗教施設というのは、
古今東西、税金を払ってないもので、
だからお寺に行けば、
ざっくざっくと金銀財宝が出てくるはず。










ただ、
この頃のインドは小さい国ばかりで、
宮殿を襲っても大して金を持っていなかった。









また、
ヒンドゥー教は、
大衆対象の宗教だったため、
信者は広がっていたけれども、
寺院にお金はない。









ということで、
マフムードが狙いを定めたのは、
仏教寺院。









当時、
インドで広まっていた仏教は密教
密教はおもにインテリやお金持ちを対象としていて、







「秘密の口伝を教えてあげましょう。
ただし、お布施をたっぷり払ってよね♪」









というのが、
布教のモットー。
なので、
仏教寺院には金銀財宝がざっくざくだった。








マフムードは、
財宝を奪ったらついでに寺を壊してお坊さんたちも殺してしまったので、
壊滅的な被害を受けた仏教は、
ついにインドから姿を消してしまう。









こわいわね・・・
金銀財宝あげるから命は助けてくださいって、
命乞いしなかったのかしらね・・・








・・・

マフムードの遠征を支えたのは、
マムルーク








やっぱり、
戦争は騎馬民族マムルークに任せておけ・・・ってことだったらしい。







一方、
行政はペルシア人が担当。

官僚としては、
ペルシア人の右に出る者はいない。(このあたりは、こちらにも詳しい→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (33) 西暦1000年 世界で5番目に人口の多い都市は・・・? - Victoriaの日記







ペルシア人が国の文化面を担当したので、
当然ペルシア語が公用語となり、
ペルシア人文人たちが多数、ガズナに集まってきた。







その中に、
『王書(シャー・ナーメ)』で名高いペルシアの大詩人フィルダウスィーがいる。








彼はペルシア語で書いたイラン最大の叙事詩を、
マフムードに捧げた。








マフムードは、






ガズナといえばマフムード






というくらい偉大な王だったのである。









また、
マフムードの遠征にも同行し、
インドの百科事典である「インド誌」を書いた人物に、
ビールーニーがいる。
彼は非常に博学で、
著述家、数学者、天文学者、旅行家、哲学者、薬学者、占星学者であり、歴史学言語学にも通じていたという、
イスラーム世界随一の知識人だった。











「インド誌」以前にも、
インドの記録はあったらしいが、
インド人はヤシの葉に文字を書いていたので、
保存状態が悪く、残っていない。








ちなみに、
ヤシの葉のことを「貝葉(ばいよう)」といい、
京都にある仏教書の専門店「貝葉書店」の名前のルーツはここである。









Victoriaでした。


・・・

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 バックナンバーはこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (1) 京都大学百周年時計台記念館 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (2) 唐宋革命 - Victoriaの日記
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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ 前回までの講義録はこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ (20)総集編 - Victoriaの日記
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