ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (5) 行革の天才 王安石

こんにちは。Victoriaです。

2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は「王安石の改革」。


北宋の第6代皇帝神宗(しんそう)の時代(在位1067〜85)、
非常に賢く、
人格者で、
打ち出す政策がすべて整合性があり理屈が通っていて、
もしもこの改革が続いていたなら、
確実に中国は別の国になっていた(つまり、世界一進んだ政治形態を持つ国になっていた)という、
行革の天才が現れた。







彼の名は、









王安石









山川出版社の世界史用語集によると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

>>王安石(1021〜86)。北宋の政治家・文章家。唐宋八大家の一人。<<



優れた政治家であっただけでなく、
唐宋を代表する文人でもあったという、

ソフトもハードも両方いけるマルチな方。







ちなみに、
唐宋八大家というのは、
古文復興運動を推し進めた人たちで、
経世済民の手段としての文学を行うべしということをモットーとしていた。








だから、
例えば唐の時代の李白などは、







「詩が書ければそれでよい」







という、
いわば文学至上主義的なところがあったのに対し、








王安石は、
学問というのは文学にとどまらず、
経済・法律など実用的な内容を学ぶべきだと考えて、
実学中心の学校制度を構築した。











さて、
若いころから政治改革の必要性を訴えていた王安石
もともとは一地方官(知事)に過ぎなかったのだが、
神宗に抜てきされ、
1070年、宰相、つまり、総理大臣になる。









まず、
なぜこの時代に王安石のような行革の天才が生まれなければならなかったのか、
時代背景をおさらいしておくと、








王安石の改革以前の宋の経済状態>




せん淵の盟などの成果で平和が保たれ、
経済力も安定してきたはずの宋だが→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (4) お金で平和を買うODAだったせん淵の盟 - Victoriaの日記
1038年に中国西北部に建てられた西夏(せいか)と宋との間で戦争状態となり、
それに乗じてせん淵の盟の相手方である遼が領土割譲をせまってくる。
困った宋は遼に贈る歳賜を増額、
同時に西夏とも和平を結び、歳賜を贈ることとなる。








つまり、
宋は、
あっちからもこっちからも足下見られて、
ゆすられまくっていたわけね・・・








というわけで、
お金(=ODA)と引き替えに平和を保っていたとはいうものの、
国境警備の兵を減らすわけにはいかず、
逆に大幅に増員、
ピーク時で120万の兵が配置されて、
その維持費に年間5000万貫かかったという。
年間歳費が9000万〜1億2000万貫だったというから、








よくわかんないけれども、
中国くらい国境線の長い国になると、
大変だったんだろうなあ・・・









さらに、
科挙が拡充され、
年間数百人が合格して官僚になっていたが、
実際、そんなに仕事があるわけではなく、
ぶっちゃけ、
いらない役職、
常時、ヒマしてる役職もどんどん増えていった。








なるほど・・・
平和ボケで使いものにならない公務員がどんどん増えてったってことね・・・








さらに深刻な問題は、
貧富の差が拡大したことで、







このころ、
貨幣が広く流通し、
農民も貨幣で納税するようになっていたが、
そのお金(税金)を工面するため、
生活に困窮するものが続出、
中には、
種籾すら用意できない者まで現れた。







種籾がなければ、
翌年の作付けができない。







そこで、
貨幣を持っている大地主や大商人が、
そんな貧農に対して融資をしていたのだが、
なんと、








金利10割。










なにそれ、
返せるわけねーじゃんか・・・









はい、
返せるわけねーので、
結局、
どこの国の街金よりもえげつない地主からゼニ借りた農民は、
担保の土地をとりあげられ、
結果、
地主はますます肥え太っていくという・・・








いつの時代も、
ゼニ貸す人間だけは絶対損しないっていうのは、
万国共通の真理のようで・・・









ということで、
ここまでの内容をまとめると、

宋の国家財政はガタガタ、
民衆の不満はいつ爆発してもおかしくないくらい格差が広がっており、
しかしそんなことどこ吹く風、
ろくすっぽ仕事をしない公務員が粛々と税金を食いつぶしていたのが、
王安石登場以前の宋の状態だった。









ここらへん、
とても人ごととは思えないリアリティを持って読めてしまうんだけれども、








それで、
そんな宋の窮状を救うべく、
行革の天才 王安石が打ち出した改革とは・・・









王安石の新法>




ポイント : 大地主・大商人から金を取って、中産階級を育てる








王安石のエライところは、
これからの時代、







たとえ大地主、大商人、官僚のような既得権益者を敵にまわすことになっても、
中産階級を育てていかないと国は強くならないという信念をもっていた。









金持ちが貧乏人に金利10割でゼニを貸してもうけるなんてもってのほか。









ということで、彼が打ち出した主な政策は、
次の5つ。







1 青苗法







農民には政府が、







金利3割








で貸し付けをする。






3割も暴利なんだけど、
10割に比べればずっとマシでしょっていう話ね・・・







王安石は青苗法で、まず、








農民保護







を行った。









2 市易法








王安石が市易法でやったことは、








商人保護。







青苗法の商人版で、
政府が低利で貸し付け、
また、大商人による価格操作を抑制し、
物価調整を行った。








3 均輸法





江南から開封へ運河を使って物資を運ぶ際、
荷揚げ人が200%の税をとっていたが、
それを廃止し、
物価の安定をはかった。







もちろん、
中間マージンでもうけていた大商人たちからは、
猛反対されている。









4 募役法(ぼえきほう)








それまで、農民は、
何かと強制労働にかりだされていたが、
役人は免除されていた。









それを、
お金を払えば、
たとえ農民であっても強制労働は免除してやるという制度にかえたのが募役法。










それで何が変わったかというと、









お金を払えば強制労働から免除できるんだったら、
役人だけわざわざ免除する法律なんていらないよね、
だって、役人はお金持ってるんだから、
払えばいいじゃん・・・









つまり、
募役法というのは、
一見、
農民をつらい強制労働から解放してあげるよ法に見えるけれども、
実際は、









役人たちよ、
体はって働きたくないんだったら、
ちゃんと国に対してゼニ払えよ・・・









というコペルニクス的転回のめちゃくちゃクールな法だったわけだ。










王安石さま☆天才!









ほかにも、
細々とした法がいっぱいあったが、
要するに、









それまでうまい汁すってた富裕層+お役人たちを全員敵に回す画期的な改革であったことだけは確かだ・・・









難しい試験で知られる科挙
それまでは経書の丸暗記が合格の条件だったんだけど、
実践的能力重視の観点から、
論文試験に切り替えたのも王安石








丸暗記能力だけで官僚になってもらっちゃ困るんだよね・・・









って、
いやはや、
すごい改革だ・・・






・・・

ここまでお読みいただければおわかりになるように、
王安石の改革というのは、
民衆側からみれば夢のようなすばらしい改革なんだけれども、








既得権益を手放したくない層からは捨て身の攻撃を食らうこと必至・・・










実際、
すごいことになってしまって、
アンチ王安石側のことを、









旧法党









っていうんだけれども、
彼ら自身、
何か一つの主義主張で結託した集団では全然なかったんだけど、









王安石の改革を止めろ!







という一点で利害の一致した彼らは、
猛烈な攻撃に出る。








ので、
あっけなく王安石失脚・・・








結局、
王安石が宰相の座についていたのは6年間。









猛烈な反対攻撃を受けるだろうことは、
王安石も予測していただろうとは思うけど、









何が起こったかというと、









政策論争ではなく、
単なる政争・・・








王安石を失脚させた後、
誰がエラくなるのか、
結局そういう争いになってしまって、








税金の話でもめると、
いつの間にか政争にすりかわるってのは、
なんか既視感アリアリ・・・










そんなこんなで、
自分がせっかく作った新法が、
次々とわけわかんない旧法に取って代わられるのを見ながら、
失意のうちに王安石死去。









実は王安石は、
いったんは孔子廟に合祀されたんだけれども、









朱子学が席巻した時、
孔子廟から撤去されている。









中国の方っていうのは、
エライエライと崇め奉っていた人を、
手のひらを返したように憎んで、
お墓まで掘り起こしちゃうんだけど、
こういう激しさって日本人にはない気がする・・・







・・・



さて、
旧法党の急先鋒として王安石と対峙したのが、








司馬光








司馬光といえば、








資治通鑑」。








教科書にのっているから、
日本の高校生なら誰でも知ってる歴史書
実は、
司馬光資治通鑑を編纂するようになったきっかけは、
王安石との政争に敗れたからで、








ここが、
王安石の人格者たるゆえんなんだけれども、







政治的に意見が合わないからといって、
才能あふれる司馬光を失脚させたりせず、
図書館司書という閑職へと異動させた。







おかげで、
司馬光は後世に残る歴史書の編纂に没頭できたというわけである。








坊主憎んで袈裟まで憎まず。









王安石司馬光も、
ともに政治家でありかつ歴史家という共通点があり、










新法党、旧法党に別れて喧々がくがくやっていた時も、
お互い人間として尊敬し合い、
文通していたという。










本当にできた人というのはそういうものだけど、
取り巻き連中というのは政局だけだから、
結局、
風向きを読んで自分が損しないように立ち回るだけで、
本来尽くすべき政策論争なんかいつのまにか立ち消えになってしまって・・・








・・・ということで、本日の結論 :







今の日本に必要なのは現代版王安石である。








Victoriaでした。


・・・

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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (2) 唐宋革命 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (3) 中国でてん足が広まった理由 - Victoriaの日記
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