ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (7) チョーラ朝ラージェンドラ1世のシュリーヴィジャヤ遠征

こんにちは。Victoriaです。

2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は「イスラームのインド・アフリカ進出とトルコ民族の台頭 その2 チョーラ朝ラージェンドラ1世のシュリーヴィジャヤ遠征」。

中国では、
唐代に、海上貿易関係の事務を担当する官庁として、
市舶司が設置され、
宋代で整備される。







966年、
北宋建国直後、
杭州に市舶司(=税関)が設置された。








このころ、
インドから中国へ船が来るようになり、
たくさんの積み荷が降ろされるのを指をくわえて見ているのではなく、









関税かけてもうけようぜ!









今回は、
はるばるマラッカ遠征を経て、
中国との海上貿易を盛んにしたインドの王朝のお話。










・・・


南インドは、
チョーラ朝が支配していたが、
ラージャラージャ1世の時代に勢力を拡大、
その子のラージェンドラ1世(在位1016年 - 1044年)の時代に最盛期をむかえる。










ラージェンドラ1世は、北はガンジス河畔まで遠征軍を送っているが、
中国との貿易を独占していたシュリーヴィジャヤ王国に1025年、
大遠征軍を送り、
マレー半島スマトラ島の拠点を征服、







その結果、
チョーラ朝はインド洋から中国までの制海権を支配し、
貿易を独占、
海の大帝国を築き上げる。







ただ、
杭州に税関ができたのは966年なので、
ラージェンドラ1世より前の時代。








調べてみたところ、
ラージェンドラ1世の父のラージャラージャ1世が、
1013年、北宋に通商のための使者をはじめて送っているので、
それ以前から交易があったと思われる。









・・・



ラージェンドラ1世に攻め込まれたシュリーヴィジャヤ王国は、
7世紀にはマラッカ海峡の交易ルートを広く支配していた交易帝国、
1025年にラージェンドラ1世に攻め込まれて衰退したとはいえ、
14世紀まで続いた。









687年、
唐の義浄がインドからの帰国途上に訪れ、
695年まで滞在、
仏典の漢訳をしていることからわかるように、
インドのナーランダー僧院に匹敵する、
大乗仏教の大中心地であった。










マラッカ海峡っていうと、
今でも海賊が横行するこわいところっていうイメージがあるけど、
唐が衰えた後、
陸上の道が必ずしも安全とはいえなくなったこともあって、
海の道が栄え、
シュリーヴィジャヤ王国の隆盛につながったらしい。








大量の物資を一度に運ぶには、
ラクダより船だったんだろう・・・







・・・ということで、本日の結論 :







昔から世界は海でつながっていたのね・・・結構、忘れがちだけど・・・










Victoriaでした。


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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 バックナンバーはこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (1) 京都大学百周年時計台記念館 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (2) 唐宋革命 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (3) 中国でてん足が広まった理由 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (4) お金で平和を買うODAだったせん淵の盟 - Victoriaの日記
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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (6) ガズナ朝マフムードのインド侵入 - Victoriaの日記


ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ 前回までの講義録はこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ (20)総集編 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ 続編 (25) 総集編 AD元年〜500年の世界 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (34) 総集編 - Victoriaの日記
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