ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (10) セルジューク朝の内紛と十字軍の発端

こんにちは。Victoriaです。

2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は「イスラームのインド・アフリカ進出とトルコ民族の台頭 その5 セルジューク朝の内紛と十字軍の発端」。

さて、
前回のこの記事→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (8) セルジューク朝 - Victoriaの日記でも見たとおり、
第1回十字軍の直接のひきがねになったのが、






セルジューク朝







今回は、
そのセルジューク朝西アジア一帯を制圧し、
王様が宴会と狩猟にあけくれる毎日を送っていても安泰だった最盛期から、
あっという間に坂道を転がり落ちて行く様子を見ていきます。








・・・

1063年、
セルジューク朝建国者トゥグリル・ベグが亡くなると、
甥のアルプ・アルスラーンがスルタン位を継承(在位1063〜1072)。





アルプ・アルスラーンペルシア人ニザーム・アルムルクを宰相(ワジール)として重用。






非常に優秀だったニザーム・アルムルクは、
イクター制の整備など、
重要な改革を次々と打ち出し、
セルジューク朝の黄金時代を築き上げた。







1071年、
マンチケルトの戦いで東ローマ皇帝ロマノス4世率いる軍と戦い、勝利。
その結果、アナトリア(現在のトルコ)にトゥルクマーン(トルコ民族)が入り、
ローマ軍が消えてアナトリアトルコ人の国になり、
現在に至る。







アルプ・アルスラーンは、
捕虜となったロマノス4世を丁重に扱い、
釈放したのだが、
その時の有名な会話が、







アルプ・アルスラーン : もし捕虜となったのが逆に私の方だったら、貴方はどうする?
ロマノス4世     : きっと貴方を処刑するか、コンスタンティノープルの街中でさらし者にするだろう。
アルプ・アルスラーン : 私はそれより重い刑を下そう。なぜなら、私は貴方を赦免して自由にするのだから。








処刑されるよりも重い刑を下されたロマノス4世は、
その後どうなったのか?








なんと、
夫が捕虜になったことを知った妻が、
さっさと夫を廃して、
自分の息子を皇帝に即位させているんだけれども、








この息子、
ロマノス4世との間にできた子ではなく、
前夫との間の子で、









釈放されて帰ってきて、
それは違うんじゃないかと抗議したロマノフ4世は、







捕らえられ、
盲目にされたうえで追放され、
翌1072年、失意のうちに亡くなったという。










敵の大将よりも自分の妻のほうがよっぽど残酷だった・・・










てゆーか、
「ロマノフ4世の妻は自分の連れ子を跡継ぎにさせるためには夫を殺すこともいとわない」
という情報を入手した、
アルプ・アルスラーンの作戦勝ち???







・・・

さて、
東ローマ帝国は1071年にアナトリアをトルコにとられ、
東の領土を失ったわけだけれども、







同じ年、1071年に、
ノルマン人ロベールに南イタリア・バーリを奪われて、
西の領土も失ってしまう。







東も西も同時にやられてしまって、
懲りた東ローマ帝国











野蛮人と戦争しても損するだけだ










ということを体で覚え、
以後、平和を金で解決することに方針転換、










軍事力より外交力










をモットーに、
外交力に磨きをかけていく。









・・・


セルジューク朝の最盛期に宰相として手腕をふるったニザーム・アルムルクには、
数々の功績があるが、










ニザーミーヤ学院の創設









もその一つ。









ニザーミーヤ学院はスンナ派の最高学府で、
当時、カイロには、シーア派が仕切っていたアズハル学院がすでにあったのだが(→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (33) 西暦1000年 世界で5番目に人口の多い都市は・・・? - Victoriaの日記
カイロにある大学が一番というのはおかしいだろうということで、
それに対抗する形で、
バグダードにニザーミーヤ学院(私立)をつくり、
各地にその分校をつくった。








・・・



アルプ・アルスラーンが42歳で急死すると、
その子マリク・シャーが17歳の若さで即位(在位:1072〜1092)。








名宰相ニザーム・アルムルクのおかげで、
マリク・シャーは宴会と狩猟にあけくれる優雅な毎日。







王様が優雅な生活を楽しんでいられるうちは、
平和だってことね・・・







1074年、
マリク・シャーは、
ウマル・ハイヤームに命じて、
ジャラーリー暦という世界で最も進んだ太陽暦を作らせている。









ウマル・ハイヤームは数学・天文学に通じていただけでなく、
すぐれた詩人で、










「酒を飲んで女とデートし、
詩を書いてのんびりすることほど楽しいことはこの世にない」









というセリフを残した。







・・・


政治家としてだけでなく、
文化人としてもすぐれていたニザームは、
『統治の書』という書物を著し、
スルタンがどのような統治を行ったらいいのかを説いたりしていたが、









1092年、
なんと彼は暗殺されてしまう。









マリク・シャーの後継者として、
ニザームはマリク・シャーの長男バルキヤールクを推したが、
マリクの妃は自分の実子であるマフムードを推した(バルキヤールクとマフムードは異母兄弟)。








ロマノス4世の時もそうだったけど、
自分の子どもを王様の座につけたいという妻の執念は、
いともあっさりと百戦錬磨の武将を殺してしまうのね・・・








ニザームを暗殺したのは、
ハサン・サッバーフ。









ハサン・サッバーフはイスラムシーア派ニザール派イスマーイール派)の開祖で、
相当過激な人だったらしく、









アラムート(イラン中部)の山にこもり、
別名、暗殺教団ともいわれたニザール派をつくりあげた。









英語で「暗殺者」を意味する「アサシン」(assassin)の語源は、
ニザール派にあるとか、
また、アラビア語の「アサシン」である「Hashishi」は、
大麻を指すとか、
なんだか、おそろしい話がボロボロ出てくるんですけど・・・






それで、
なぜ山にこもっていた過激なお坊さんが、
総理大臣を暗殺しちゃったかって話なんだけど、
一説によると、







その昔、
ハサン・サッバーフも宮廷に出仕していたんだけど、
ある時、
アルプ・アルスラーンに報告書を提出するよう命じられ、
ニザーム・アルムルクは1年かかりますと答えたのに、
ハサンは40日で完了すると断言。








ニザーム・アルムルクは、
40日で完成させるなんてとてもムリとたかをくくっていたんだけど、
ハサンは書記たちを動員し、
40日後に完成させてしまう。










あせったニザーム・アルムルクは、
書類に陰謀工作をほどこし、
アルプ・アルスラーンの御前での報告の時に、
ハサンははじめて書類のページがぐちゃぐちゃになってることに気づき、
うまく答えられなかったという・・・








ハサンは、
この時の屈辱を片時も忘れたことがなく、
要人暗殺を行うようになった時、
その最初の犠牲者としてニザーム・アルムルクを選んだ。








男の嫉妬はこわい・・・








ニザームが死んで、
優秀な補佐役を亡くしたマリク・シャー。







37歳の若さで、
その翌月、死亡。









マリク・シャーの治世は、
豊かで毎日が宴会で、
ぶっちゃけ、ヒマだったので、
子どもがたくさんできた。






そうよね・・・
お父さんが戦争に出かけて家をあけていたら、
子どもつくるヒマないもんね・・・






マリク・シャーの死後、
その子とその取り巻き連中らの間で、
跡目争いの内紛が起き、






強大な勢力を誇ったセルジューク朝は、
あっという間に分裂、









東ローマ帝国の東側に権力の空白ができ、
十字軍結成へとつながっていく・・・








・・・ということで、本日の結論:







王室に、
世継ぎの子どもがいないのも地獄、
子どもが多すぎるのも地獄、
だけど一番こわいのは、
前夫との間にできた子どもを跡目につけようとする妻の執念・・・








Victoriaでした。


・・・

ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 バックナンバーはこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (1) 京都大学百周年時計台記念館 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (2) 唐宋革命 - Victoriaの日記
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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ 前回までの講義録はこちら。
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ (20)総集編 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ 続編 (25) 総集編 AD元年〜500年の世界 - Victoriaの日記
ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 3 (34) 総集編 - Victoriaの日記
ライフネット生命 会社訪問記 - Victoriaの日記
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