ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (11) ウマイヤ朝の滅亡

こんにちは。Victoriaです。

2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は、「フランク人の東方侵略 その1 ウマイヤ朝の滅亡」。


さて、
今回から、
十字軍遠征に至るまでのヨーロッパの状況をみていきます。








1002年、
マンスールが死んだことで、
後継者争いの内紛が起き、
あっという間に衰退したウマイヤ朝が、
1031年に滅亡。








このウマイヤ朝は、
世界史の教科書では、
後ウマイヤ朝」と書かれている方で、
ダマスクスにあったウマイヤ朝が750年に滅ぼされた時、
一族がイベリア半島(スペイン)に逃れて建てた王朝のこと。






750年、アッバース朝によってウマイヤ朝が滅ぼされた時、
アッバース朝ウマイヤ朝の残党をどこまでも追っていったため、






一人生き残ったウマイヤ家の王族アブド・アッラフマーン1世は、
身につけていた貴金属を逃走資金に変えて逃げた。







国が政情不安になったら、
お札も銀行も信用できないから、
有り金全部貴金属に変えるっていうけど、
王様でもそうだったんだ・・・







一体、
どんだけ貴金属身につけていたんですか???








滅ぼされたとはいえ、
王族だったんだから、
ハンパない数の貴金属をじゃらじゃらさせていたんじゃないか・・・???





・・・


ウマイヤ朝は、
アブド=アッラフマーン3世(在位912〜961)の時が全盛で、
アッバース朝に匹敵するほどの繁栄ぶり、
10世紀のコルドバは、
世界有数の大都会、
人口は50万を下らない、西欧最大の都市だった。







ヒシャーム2世の時代、
ル・マンスール・ビッ・ラーヒという名宰相が出て、
カリフをさしおいて実質的な最高権力者となるが、
1002年、マンスール死去。







とたんに、
後継者争いで国が混乱に陥り、
あっという間に衰退、
1031年、ウマイヤ朝は滅亡。






イスラム支配下では、
信仰の自由が許され、
さまざまな宗教や民族が共存し、
それがウマイヤ朝の繁栄をもたらした。






当時、
イスラム文明は非常に高度で進んでいたので、
それを受け入れたスペインでは、
いわゆる西欧的なものとイスラム的なものがコラボし、
重層的で豊かな文化が花開いたのだった。









Victoriaでした。


・・・


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