ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (20) 第1回十字軍

こんにちは。Victoriaです。

2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は、「第1回十字軍」。

さて、
お待たせしました、
いよいよ第1回十字軍です。






まず、
山川出版社の世界史用語集をみてみると、

世界史B用語集 改訂版

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第1回十字軍 : 1096〜99 フランス諸侯が中心。陸路を東進した。参加諸侯間の対立(特にフランスとドイツ)、十字軍とビザンツ帝国との相互の不信の中で整地奪回に成功し、エルサレム王国を建設した。








ということで、
第1回十字軍はめでたく目標達成し、成功した数少ない回のうちのひとつ。







全部で8回あった十字軍のうち、
成功したのは、
第1回と第5回のみ、
全体としては大失敗だった。











1095年、
ローマ教皇ウルバヌス2世が、
クレルモン教会会議で、
十字軍宣言として知られる有名な演説を行った。








ウルバヌス2世は、
グレゴリウス7世の遺志をついで教会改革を行った人物で、
グレゴリウス7世 VS ハインリヒ4世の争いもきっちり継承、(この二人の対立はこちらを参照→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (17) カノッサの屈辱 - Victoriaの日記
ハインリヒ4世の反対勢力間の婚姻を取り持つなど、
なかなかの策士ぶりを発揮、
十字軍宣言でその才能が花開いたわけだが、








なぜ、この時代、
教皇に有能な人材が豊富だったのだろうか?








当時のヨーロッパでは、
男の子がたくさん生まれると、
次男、三男はお坊さんになるしか道がなく、








ウルバヌス2世は、
地方貴族の生まれだが、
子どものころから聖職者になるための教育を受け、
クリュニー修道院に入り、
院長まで務めている。









グレゴリウス7世の右腕に抜てきされ、
教皇代理として外交手腕をいかんなく発揮したウルバヌス2世、
1088年に教皇に選出され、
教会改革推進中に、
セルジューク朝に苦しめられていた東ローマ帝国皇帝からの援助要請をうけて、
1095年の有名な十字軍宣言に至るわけだけれども、







このころのセルジューク朝は、
最盛期を過ぎ、
内紛でゴタゴタしていた時期→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (10) セルジューク朝の内紛と十字軍の発端 - Victoriaの日記
一気に攻め入って堕とすには絶好のチャンスだった。









演説の中で、
ウルバヌス2世は、







「乳と蜜の流れる土地カナン」







という聖書の一節を取り上げ、








東は豊かな土地だ。
キレイな女もたくさんいる。
もしも遠征の途中で死んだとしても、必ず天国へ行ける。
だから、
神のために武器をとって聖地をトルコ人から取り戻そうぜ!








と訴えた。










ウルバヌス2世は、
血気あふれる若者がヨーロッパ中にあふれているのだから、
東に攻め入れば新しい領地をとれるかもしれないとふんだわけである。









一方、
十字軍に参加した若者たちは、
聖地奪還というより、









乳と密とオンナ










につられた者も多かったらしい。










事実、
進軍の途中、
虐殺、レイプ、略奪を繰り返し、
一説によると、
7万人以上の市民を虐殺したともいわれ、
平和に暮らしていたイスラム教徒たちは何の備えもなく、
その残虐ぶりにおそれをなして、
戦わずして十字軍を通したという。








あまりにも野蛮なふるまいだったので、
この集団が宗教的目的を持った聖なる十字軍だとは誰も思わず、
西欧の強盗団が襲ってきたと考えたほどで、









なにはともあれ、
奇襲攻撃が功を奏し、
1099年、
聖地奪回に成功、
エルサレム王国を建設した。









その前年の1098年、
壮麗・華美なクリュニー修道院に反旗を翻し、
清貧・過激をモットーとするシトー会が発足。








染料を用いない白い修道服を着たことから、
「白い修道士」と呼ばれた。








この時期、
フランス各地にノートルダム寺院が建てられている。








パリのノートルダム大聖堂が有名だが、
それ以外にもノートルダムの名を冠した教会は、
世界中のフランス語圏に山ほどあって、










このことは、
この時期のヨーロッパが、
生産力が上がり、
人口が増加して、
エネルギーに充ち満ちていたことを示している。







・・・ということで、本日の結論 :








十字軍遠征と教会建設ラッシュは、
活気あふれるヨーロッパのエネルギーのはけ口だった。








Victoriaでした。



・・・

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