ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (28) シチリア女王コンスタンツァの政略結婚と執念の高齢出産
こんにちは。Victoriaです。
2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は、「シチリア女王コンスタンツァの政略結婚と執念の高齢出産」。
さて、
今回は、
政略結婚のために十歳年下の男性と結婚し、
40歳すぎて執念の高齢出産で見事嫡子を産んだ女性の話で、
前回のエレアノール妃と同じく大変興味深いんだけど→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (25) 中世ヨーロッパ最強の女 エレアノール妃 - Victoriaの日記
第3回十字軍に出征し、
川で溺死した神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(別名赤ひげ王=バルバロッサ)の息子に、
ハインリヒ6世がいて、
(バルバロッサについてはこちら→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (27) 第3回十字軍 - Victoriaの日記)
文武両道で、
大変有能だったのだが、
その賢明さをお后選びにも発揮、
1186年、21歳の時に、
シチリア女王のコンスタンツァと結婚する。
この時、
コンスタンツァは32歳。
年の差10歳(女のほうが10歳年上)。
この頃のシチリア王国では、
男女とも相続可能だったため、
彼女が王位継承者と定められていて、
そのせいかどうかはわからないんだけど、
30歳まで独身だったコンスタンツァ、
ついに似合いの相手が現れ、
結婚する。
この結婚の意味はどうだったかというと、
夫のハインリヒ6世は神聖ローマ皇帝、
妻のコンスタンツァはシチリア女王なので、
ローマ教皇領をはさむ南北の二大国が手を結び、
巨大な大帝国が出現したことになり、
教皇にとっては危機的状況だった。
政略結婚したからには、
お世継ぎを産まなければならないわけなんだけど、
高齢だったこともあってか、
長くコンスタンツァには子どもができなかった。
しかし、
奇跡が起きる。
1194年、
ハインリヒ6世とコンスタンツァが戴冠式を行って正式にシチリア王になった翌日、
男子出産。
この時の出産風景がすごくて、
なんと、コンスタンツァは、
わざわざたくさんの人が見ている広場のテントの中で出産。
何のために?
40歳のオバハンが出産?
ウソだろ・・・?
そんな疑惑をもたれていたのは重々承知、
正真正銘、
この子は私が産みました、
そういうアリバイ作りのためである。
お后もいろいろとつらいのね・・・
・・・ということで、本日の結論 :
王家のお后が世継ぎを産むのは、
夫が戦争で勝って領土を広げるのと同等(あるいはそれ以上)の価値を持つ。
40歳まで妊娠しなかった女性が出産したら、
何かあったのかと勘ぐられてもしょうがないっていうのはわかる・・・
夫以外のタネなんじゃないか、とか・・・
1197年、
ハインリヒ6世が32歳の若さで急死すると、
コンスタンツァは息子の摂政として政務を取り仕切り、
正式に息子のフリードリヒがシチリア王を継承すると、
1198年、44歳で死去。
40歳で高齢出産して、
身体が弱っていたのかもしれない・・・
・・・
ハインリヒ6世は若くて有能だったので、
誰もこんなに急にあっけなく死んでしまうとは考えておらず、
権力の空白が起きる。
歴史を振り返ってみると、
強大な権力を掌握していた指導者が若くして死んでしまうと、
周りがあわてふためき、
カタストロフが起こると決まっていて、
今回の例で言うと、
コンスタンツァがドイツ皇帝に嫁いだことを、
実はみんなが不満に思っていたので、
ローマ教皇インノケンティウス3世を後見人にして、
たった4歳の息子フリードリヒを残してコンスタンツァが死ぬと、
彼を利用しようとする大人たちにほんろうされたフリードリヒは、
長い人質生活を余儀なくされ、
困窮した彼は、
食べ物にも事欠くほどで、
やんごとなき生まれであるにもかかわらず、
町の人たちのお慈悲で食べ物を恵んでもらったりしながら、
宮殿の中ではなく、
パレルモの町中を、
元気に走り回って成長した。
要するに、
庶民の生活を送ったということだが、
聡明だったフリードリヒは、
4歳でラテン語を習得、
その後、
ギリシア語、アラビア語、ウラル後、フランス語など6カ国語を習得、
肉体面も鍛えられなどしてすくすくと育ち、
早い話、
周りが満足な帝王教育をほどこさなかったため、
かえってたくましく、
世間についてよく知っている、
賢い宰相が誕生したというわけである。
日本史でいえば、
織田信長のような存在で、
事実、
フリードリヒ2世は、
中世でもっとも進歩的な君主と賞賛された。
フリードリヒは何度か結婚し、
愛妾もたくさんいたので、
自分自身は高齢の母が命がけで産んだ一人っ子だったけれども、
たくさん子孫を残した。
こういう話を聞くと、
命の連鎖の不思議をつくづく感じる・・・
・・・ということで、本日の結論 :
子どもは親がなくても勝手に育つ。
Victoriaでした。
・・・
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