ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (29) インノケンティウス3世登極

こんにちは。Victoriaです。

2012年7月14日、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長による「5000年史 Part4 11、12世紀の世界」の講義録、
今回は、「インノケンティウス3世登極」。

1200年頃のユーラシアでは、
東と西から同時に太陽が上がろうとしていた。








東は、チンギスハン、
西は、ホラズム帝国。







ホラズムは中央アジア西部、
現在のウズベキスタントルクメニスタンのあたりの地域、








1194年、
ホラズム・シャー朝の第6代君主テキシュは、
イランへ進出、
セルジューク朝を滅ぼした。








・・・

1194年、
フランスのパリから南西80kmの都市、シャルトルで、
ユネスコ世界遺産にも登録されているシャルトルの大聖堂の建設が始まった。









これは、
フランスで最も美しいゴシック建築の大聖堂で、
それ以前から存在したのだけれども、







1194年に大火事で大半が焼け落ちてしまったため、
再建された。








シャルトルの大聖堂は、
聖母マリアのものとされる聖衣を所蔵しており、
そのため、
マリア巡礼者たちが世界中から訪れている。







・・・


1198年、
インノケンティウス3世がローマ教皇に就任、







インノケンティウス3世は、
ハインリヒ6世とコンスタンツァが若くして死んでしまった後、
その息子フリードリヒ2世の後見人になった人物→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 4 (28) シチリア女王コンスタンツァの政略結婚と執念の高齢出産 - Victoriaの日記








教皇権は太陽であり、皇帝権は月である」









という、
実にイケイケな言葉を残していて、









その言葉通り、
ドイツ皇帝オットー4世、
イギリス王ジョン、
フランス王フィリップ2世を、
つぎつぎに破門、臣従させている。







初期のローマ司教たちは、
ペテロの代理人を任じていたが、
教皇の権威が増すに従って、
キリストの代理人を任ずるようになっていき、








インノケンティウス3世も、

キリストの代理人を任じていたハインリヒ6世が急逝し、
世界が混乱したどさくさに、
キリストの代理人へと称号をアップさせてしまう。








今だったら、
称号を乗っ取っても、
誰も文句は言うまい・・・







彼には、
そういう時代の風を読む、
政治的センスが備わっていた。





・・・


同じく1198年、
イブン・ルシュドがマラケシュで死去。






イブン・ルシュドはスペイン、コルドバ生まれのイスラム学者で、
彼のアリストテレス注釈書は、

スコラ派のバイブルになり、
パリ大学の教科書にもなっている。









イブン・ルシュドのエピソードが持つ意味は何かというと、






山川出版社の世界史用語集によると、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

スコラ哲学 : キリスト教会の郷里にギリシア哲学(とくにアリストテレス哲学)が結びつけられて体系化された中世ヨーロッパの神学・哲学。







とあるように、
キリスト教の根幹をなす学問手法なわけだけど、








そのベースを作ったのが、
イスラム学者だったという点にあり、









キリスト教 VS イスラム教は、
キリスト教の勝ち的なイメージがあるけれども、
当時のイスラム世界はキリスト教世界に比べて、
あらゆる分野でかなり進んでいた。









例えば、
イスラム世界では、
当時、医学がかなり発達していたのに対して、
ヨーロッパの医学では、
悪い血を抜けば病気というのはたいてい治るのだと信じられており、
調子の悪い患者がいるとバンバン血を抜いたんだけど、








そんなことしたら、
ただでさえ体力の落ちている患者はますます弱るだけだから、
当然、多くの人が死んだ。








話とぶんだけど、
アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンも、
瀉血(しゃけつ)のための大量出血で死んだと言われていて、
亡くなったのは1799年なので、
18世紀になってもまだ、
医学的に何の根拠もない「病気になったら血を抜け」的な治療がまかりとおっていたっていうのは、
ちょっと驚き・・・








Victoriaでした。


・・・

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