お腹の子に対する愛よりも、夫に対する愛の方が深かった
こんにちは。Victoriaです。
さて、
今日は、
大変古い本を読みました。
- 作者: 谷崎松子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1979/12/10
- メディア: 文庫
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滅多に恋愛ネタを書かないChikirinさんが「愛ってこういうことなのね」って言うから、
これは読まなきゃって・・・
・・・
谷崎松子さまは、
谷崎潤一郎の最後の妻。
お二人が知り合った時は、
まだどちらも結婚なさっていて、
谷崎潤一郎が熱烈に口説き、
ほどなく再婚なさるんだけど、
谷崎潤一郎が松子さんにあてて書いたラブレターの一部が、
松子さん自身の手で公開されていて、
谷崎潤一郎の美しい文体を汚すようで心苦しいんだけど、
言葉遣いが古いので、
簡単に内容を要約すると、
>>・・・はじめてお目にかかった日から一生あなた様にお仕えできれば身を滅ぼしても無上の幸福だと思ってきました。私には崇拝する高貴の女性がなければ思うように制作ができないのです。しかし、芸術のためのあなた様ではなく、あなた様のための芸術です。もし私の芸術が後世に残るならばそれはあなた様を伝えるためでございます。あなた様なしには私の芸術はなりたちません。もしあなた様と芸術が両立しなければ、私は喜んで芸術を捨てます。・・・<<
この後、
二人は、
まだ前の婚姻関係にけじめをつけていない状態でいっしょに住み始めるわけだけど、
松子さんによると、
きちんと籍をいれるまでは、
寄り添うことはあってもまことの契りは交わさなかった。
そのことを、松子さんは、
私とて女の身、普通の夫婦として睦みたいとどんなに望んだことであろう。
と回想しており、
どうやら、
谷崎潤一郎は松子さんに対しては、
他の女性とは全く違う接し方をしていたようで、
他の手紙では、
>>芸術家は絶えず自分の憧憬する、自分より遙か上にある女性を夢見ているもので・・・あなた様とは、法律上は夫婦でも実際は主従の関係を結びたい・・・<<
なんて書いてあって、
じゃあ、一生尽くしたのかというと、
>>あなた様のおそばにいると作品が書けない・・・<<
と言って、
別居したがったりとか・・・
・・・
さて、
「倚松庵の夢」を読んで初めて知ったのだが、
松子さんは谷崎の子を妊娠したことがあった。
そのころ、
松子さんはどうしても谷崎の子が生みたく、
観音様に日夜祈願をかけてやっと授かった子だったので、
どうしても生みたいと言ったんだけど、
谷崎が、
「そうなれば、これまでのような芸術的な家庭は崩れ、私の創作熱は衰え、何も書けなくなってしまうかもしれない」
と言って、
中絶してほしいと強く迫られたため、
5ヶ月に入って手術を行ったのだという。
後に谷崎は、
「お腹の子に対する愛よりも、私と私の芸術に対する愛の方が深かったのだと思う」
と書いている。
松子さんがこれを書いているのは、
谷崎が亡くなった後で、
谷崎の子を生んでいれば、
先立たれた寂しさがどんなにかまぎれたであろうと思っていたんじゃないか、
そんな気がする。
みんなに祝福されて生まれてくる子どももいるけど、
妊娠って残酷で、
欲しいと思っているところには生まれて来ないで、
今ここでできちゃだめだっていうところにできて、
女に血の涙を流させる結果になって、
どうしよう、どうしよう・・・なんて言ってる間にも、
お腹の子はどんどん大きくなっていくわけだから、
決断は早くしなければならない、
でも、そういう時の女って、
子どもとひきかえに、
男の愛を得るか失うかっていう、
ぎりぎりの瀬戸際にいることが多くて、
そうでなくても難しい決断を、
妊娠して、
ホルモンバランスの関係で、
人生で最高レベルに情緒不安定になってる時に、
一人で決断しなくちゃならなくて、
お腹にできた子どもは「モノ」じゃなくて、
自分の体の一部なわけだから、
それをみすみす流してしまうのが、どんなにつらいか、
男の人には説明しようもなく、
でも、
そういうもろもろのことをすべて飲み込んで、
この人に身を捧げるつもりだからと、
生むにせよ生まないにせよ、
女は黙って運命を受け入れていく。
だから、
お腹の子に対する愛よりも、夫に対する愛の方が深かった、なんてことは決してなくて、
夫への愛はとめどなくあふれ、
それを止めるなんてとてもできない状態である以上、
今、目の前にいる夫との生活を守るためには、
まだ見ていない子どもとの生活をあきらめるしかなく、
ただ、
それは、
自分のお腹の中にいるからこそ、
ぎりぎりできる選択で、
これがもしも、
妊娠しているのが自分ではなく目の前にいる男だったら、
絶対に女のほうから男にむかって堕ろしてくれとは言えない。
そんなことしたら、
その後、
正気で生きていく自信ないもの・・・
愛する人の子どもを堕ろす時、
子どもも生きたがってるだろう、
痛いだろう、なんて思うととてもそんな残酷なことはできない、
だから、
あえて、
これから傷つけようとしているのは、
自分自身の体であって、
他人(=子ども)なんかいないんだ、
愛する人のために、
ほんのちょっとの痛みを我慢するんだ、
そうでないと、
未来がないから・・・
そんな風に思って手術台にむかうんじゃないだろうか・・・
・・・ということで、本日の結論 :
なのでやっぱり女にむかって子どもを堕ろしてくれなんていう男はキライ・・・
Victoriaでした。