永遠の愛を求めて (1) 永遠の愛って何?
こんにちは。Victoriaです。
さて、
今回から、
「永遠の愛を求めて」というデカイお題に挑戦!
できるかな〜♪
・・・
男性は、
永遠に続くひとつの愛を求めるというよりは、
永遠に愛する能力を授けてくれ!って感じなのかもしれないけど、
女性は、誰でも、
永遠に続くひとつの愛を探しているんじゃないか、
それがみつかった人は「幸せもの」だし、
みつからない人は、
いつまでたっても、
人生に何かが欠落した感にさいなまれ、
欲求不満になったり、
孤独を感じたりするんじゃないか、
そう思うんだけど、
例えば、
ノーベル賞受賞が決まった山中教授は、
中学時代の同級生の奥様との間にお嬢さんがいらっしゃって、
会見でも、
つらい研究生活を乗り切ることができたのは、
家族の支えがあったからだということをおっしゃっていて、
あれは、
決してリップサービスなんかじゃなくて、
山中教授の心から出た言葉なんだろうなと、
誠実そのもののお顔を拝見しながら、
しみじみ思ったんだけど、
あのお二人は、
決して浮気なんてないし、
今でもずーっとラブラブなんだろうなと、
折りに触れて登場する、
女性週刊誌の記事を読むたびに思う。
夫婦生活という意味でいえば、
結婚50周年を迎えるカップルはたくさんいるけれど、
それはもう、
夫婦という関係を超えて、
完全に家族として同化しちゃってるからで、
男女の愛を超越してるから、
お互いのことをよく理解し、
誰よりも大事に考え、
男女として尊敬し合い、
愛し合ってるカップルというのは、
やっぱり、
希有な存在かな・・・
だいたい、
結婚50周年とか、
夫婦とも健在でむかえようとしたら、
20代で結婚してないとムリでしょ?
今からじゃ、
もう間に合いません・・・みたいな・・・
・・・
それで、
永遠の愛なんだけど、
ぶっちゃけ、
永遠の愛って存在するのか?
答 : あるところにはあると思う・・・だって、よく周りを見てみれば、あっちにも、こっちにも・・・
それで、
このシリーズをすすめるにあたって、
「永遠の愛」とは何か?
つまり、
「永遠の愛」の定義をしないと話始まらないよね、と思って、
いろいろ考えてみたんだけど、
<「永遠の愛」の定義 by Victoria>
永遠の愛=アポなしでいっしょにメシ食うことに何の違和感も覚えない相手のこと。
ハードル低くてごめんなさいね、って感じなんだけど、
現時点で私が考える永遠の愛は、
それはね、一年365日一日3回一緒に食えるかって聞かれたらそれはちょっと勘弁してくれって感じなんだけど、少なくとも、毎晩、いっしょに夕食の食卓を囲んで、今日は寒いからそろそろストーブだそうか、とか、そういえば、今日、ネコが車のボンネットで昼寝してて足跡だらけなんだよね〜あした出勤前に洗車しなきゃ、とか、そういうえばずいぶん前に会ったっきり音信不通だった田中さんから今日電話あって、子どもが生まれたんだって、てゆーか、結婚してたって知ってた?みたいな、どーでもいいが故にあまりゆかりのない人とするとそれが命取りになってつまんねえヤツだななんて言われてメアド削除されそーな、そんな微妙な会話を何の気がねなくだらだら続けられる相手って得がたいよね・・・そういう関係を続けることに対していちいち覚悟がいらないっていうのは、ホント、生きててラクチン・・・愛ってこんなものなんじゃない?たぶん・・・
お金とか、
セックスの相性とか、
趣味とか、
価値観とか、
見た目とか、
年齢とか、
もっといえば性別とか、
そういう属性は、
たまたま、
相手が備えていたものであって、
愛とは本質的に、
何の関係もないんじゃないか、
もっというと、
愛さえあればお金なんて、とか、
愛がなくてもセックスは可能、とか、
愛を、
お金やセックスなど、
ほかの属性と結びつけて考える姿勢が、
そもそも、
愛をわかりにくくしている元凶なんではないか、
そんな気がしてる今日このごろ・・・
・・・ということで、本日の結論 :
愛とはいっしょにメシが食える間柄のこと。
いやあ、そんなこと言っちゃったら、私なんか、そこらじゅう、愛だらけ・・・でも、愛のない人といっしょにご飯食べれる?私は絶対ムリ。キライな人と向かい合ってテーブルにつくっていう時点で、もうゼッタイ、ゼッタイ、ムリ!ムリ!ムリ!
Victoriaでした。