クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件 罪と罰 #検察なう

こんにちは。Victoriaです。


さて、
クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件で、
ただ一人起訴され、
孤軍奮闘なさっている八田隆氏に、
懲役2年、罰金4000万円が求刑されたのは昨日のこと(2012/11/26)。







昨日は、
第一報を聞いた直後に記事を書いたので→クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件 第9回公判 論告求刑は懲役2年罰金4000万円 #検察なう - Victoriaの日記
詳細についてはまだよくわからなかったんだけれども、











その後、
いろいろな方が情報をあげてくださっていて、
それを読んでつくづく思ったのは、









一言で説明できないものを犯罪と呼ぶことに、
そもそもムリがあるのでは?









ということで、








死人が出たわけではないし、
誰かの財産が損なわれたわけでもないから、
しょうがないとは思うんだけど、









こいつは犯罪者だ!









ということを説明するのに、
何十分も言葉を尽くして語らなければならないという事実が、
そもそも、











犯罪と呼べるようなことは何もなかった










ということを証明しているのではないかと、










あくまで、
素人の直感的な感想なんですけど、
思いました。










それに、
お金を払った、払わないが発端の話なので、
罰金はしょうがないかなと思うけど、
懲役刑を科す必要が本当にあるのか、というのもすごく疑問で、











執行猶予がついたら、
懲役に行かなくてもいいから、
結果論として、
これでいいのだという話になるのかもしれませんが、











犯した(とされる)罪と罰のバランスっていうか、
身体の自由まで拘束する必要が、
どこにあるんだろう?
というのが、
素朴な疑問です。










こういうこというと、
素人は黙ってろって言われるのかもしれないけれども、











例えば、
せめてコミュニティーで何か奉仕活動をするとか、
そういう償い方だってあるんだし、










アメリカでは、
たしか、
奉仕活動が科せられるっていうの、
あったと思うけど、









ここで、
八田隆氏に、
罪は罪なんだから、
罰として懲役刑を科する、
なんて言っては、
いけない気がする。










罪と罰のバランスの問題って、
国家の永遠のテーマなのかもしれないけれど、











なんとか、
ならないものなんでしょうか?









それとも、
一度、法律で決まったものは、
未来永劫、
ゼッタイにゆるがない・・・???










Victoriaでした。


・・・

クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件のバックナンバーはこちら。
クレディ・スイス証券集団申告漏れ事件 第3回公判 傍聴記 総集編 - Victoriaの日記