ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (17) コンクラーベ(教皇選挙)

こんにちは。Victoriaです。

2012/12/02 京都大学百周年時計台記念館で開催された、
ライフネット生命保険の出口社長に歴史を学ぶ 13世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「コンクラーベ教皇選挙)」。








1238年、
ナスル朝ムハンマドアルハンブラ宮殿を建設、
スペイン屈指の世界遺産が誕生した。







アルハンブラ宮殿は、
スペイン、アンダルシア州グラダナの丘の上に立っている一連の建物群のことで、
住宅だけでなく、軍隊、モスク、学校などさまざまな施設を含む城塞都市。










ナスル朝(1238〜1492年)の時代に拡張されたが、
イスラム教徒の入植が始まった8世紀から建設が始まっていたため、
様々な時代の建築物の複合体となっている。










アルハンブラ宮殿といえば、
スペイン最大の観光資源だが、
実はそれはイスラム文化の遺産であり、
時代を超えて輝きを失わないイスラム文化の底力がここにも・・・という感じである。











・・・


さて、
フェデリーコ2世と死闘を繰り広げていた教皇グレゴリウス9世、
実は大変な高齢だったということは前回みたとおり→ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part 5 (16) ローマ教皇庁がフェデリーコ2世と対立した理由 - Victoriaの日記
たぶん、寿命だったのだと思うけど、
すでに破門していたフェデリーコ2世から皇帝の位を剥奪しようと画策し、
ローマに聖職者を集めて皇帝廃位宣言を出す公会議を開こうとしている矢先、
亡くなってしまう。










1241年、
グレゴリウス9世98歳、
因縁の相手、皇帝フェデリーコ2世はこの年、47歳だった。









すごいよね・・・
47歳の皇帝の倍以上の年齢なのに、
まだ対等に戦おうなんて、
やっぱ、
人生、長生きしてナンボ・・・










それで、
偉大なリーダーが死んだ後は、
たいてい後継者選びが難航するんだけど、










だって、
リーダーが偉大だと、
強力なサポート役を必要としないため、
後継者が育たないものだから、











この時は、
さっさと次の教皇を選ばなければならないのっぴきならない理由があった。












教皇庁は皇帝フェデリーコ2世とガチの戦争中、
ぐずぐずしてたら、
司令官不在のスキをつかれて、
攻め込まれてしまう・・・











ということで、
誰にするかでもめてなかなか決まらない状況を回避するために、
始まったのが、










コンクラーベ









バチカンを舞台にした小説なんかで、
よく出てくるけど、
選挙が終わるまでみんな部屋から出しません、
缶詰にするから出てきたければがんばって早く選挙終わらせてねっていうシステムのことで、










選挙は紙に名前を書くんだけど、
投票終わるたびにその紙を燃やす決まりになっていて、









まだ、
教皇は決まっていませんという印に黒い煙を出し、
決まった場合は白い煙を出すという、
とてもドラマチックな演出をすることで有名。








とにかく、
外部との接触を断つのが大事なので、
選挙中に会うことができる人間は、
必要最小限、










完全なる缶詰状態が廃止され、
宿舎と礼拝堂の行き来が認められた2005年の選挙の時には、
宿舎の電話やネット回線を切断、
ケータイや盗聴を阻止するために電波妨害までしたらしい。









選挙中は、
決まるまで一日2回の投票をえんえん繰り返すらしく、
その間、
どういう風に選挙運動が行われているのか、
一日2回紙に名前を書く以外の時間(たぶん23時間58分くらい)、
缶詰にされた枢機卿の方々が何をなさっているのか、
票が動くのは、
一体どういう時なのか、
興味はつきない・・・











世界の観光地を回り、
古い建造物を見て「すげー!」って口をあんぐり開けるのが旅行の醍醐味だとすれば、
古いシステムがほぼ最初に決められた時のまま、
何百年もの間、ずっと継承され続けているという事実に圧倒されるのが歴史を学ぶ醍醐味、










すごいよね、
13世紀に決められたシステムが、
ほぼそのまま引き継がれているなんて・・・









人間が考えるズルは、
しょせん変わってないってことか・・・











よほど、
最初の制度設計がうまかったんだろうなあ・・・











・・・

さて、
話戻して、
グレゴリウス9世の後継者だが、









1241年8月22日にグレゴリウス9世が死去、
すぐさまコンクラーベが開かれ、
ケレスティヌス4世が新教皇に選ばれたが、
なんと、
たったの16日間在位しただけで、
10月25日に死去してしまう。








出生年が不明なので、
何歳で亡くなったのかわからないんだけれども、
選出された時にはすでに病に冒されていたらしく、
したがって毒殺などではなく病死のようである。









それで、
コンクラーベやったばっかりなのに、
また次の教皇を選ばなければならなくなったわけだけど、










なんと、
今度は2年かかっている。










インノケンティウス4世が新教皇に選ばれるまで、
なぜ、こんなに時間がかかったのか。










その理由は、
皇帝フェデリーコが、
コンクラーベに参加する予定の枢機卿を2人、
拉致しちゃったから。











たぶん、
拉致された枢機卿はフェデリーコ2世によって缶詰にされたはずで(どこかに幽閉されて)、
そうでなくてもコンクラーベで缶詰になる予定だっただろうから、
缶詰の覚悟(荷物?)は準備できてたのかもしれないけど、
教皇選ぶ選挙も、
命がけだったんだなあ・・・









難産のあげくに選出されたインノケンティウス4世は、
モンゴル帝国への偵察に、
プラノ・カルピニを派遣するなど、
なかなかのやり手だったようである。









・・・



それで、
なぜ、コンクラーベがこんなに紛糾するのかと思って、
調べてみたんだけど、










教皇選挙の投票権を持つ枢機卿は、
120人くらいいるらしく、
その内、
3分の2以上の得票を得なければならないらしい。







なるほど、
それは紛糾するかも・・・







一度、教皇になったら、
おそらく死ぬまでやめないだろうから、
なりたい人、
ならせたくない人、
なる気はないけどキャスティングボートを握る気マンマンの人が交錯して、
きっと、
めちゃめちゃ熾烈な戦いがシスティーナ礼拝堂の中では繰り広げられているにちがいない。









2005年のコンクラーベから、
缶詰はなくなって、
庭を散歩したりはできるようになったらしいから、
少しは人間らしい環境に改善されたようだけど、
枢機卿は高齢の方が多そうだし、
健康管理とか、
大変そう・・・









大統領であれ国会議員であれ教皇であれ、
選挙っていうのは、
ドロドロのバトルが繰り広げられたあげく、
最後は人間性の勝負になるところが、
ものすごく人間臭く、
おもしろいので、
ワクワクしてしまう・・・






・・・ということで、本日の結論 :






選挙はエンターテインメントである。










Victoriaでした。



・・・



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ライフネット生命の出口社長に歴史を学ぶ Part5 まとめ - Victoriaの日記







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